2014年3月24日月曜日

当たり前のレベルを上げる

「成長とは、当たり前のレベルを変えること。」
「教育の鉄人」こと、杉渕鉄良先生のメルマガ上で発見した言葉である。
加えて次のような話があった。

例えば、算数のテストで、全ての問いの解法を説明できることを目指すとする。
そうすると、「テストで100点」は目標ではなく前提となる。
(そもそも普通はそこに行き着くのが大変なのだが)それは「当たり前」。

つまり、指導者側の意識レベルが、全く違う。

以前、山口県の福山憲市先生の「算数の市販テスト平均99点」というのを紹介した。
こちらも同様である。

このお二人の対談講座を聴く機会があり、福山先生は次のような話をしていた。

100点は、当たり前。
そこを目指しているのではなく、結果的にそうなっただけとのこと。
目指すものからすれば、「平均100点」で然るべきなのにという話だった。

二人の先生の共通点がある。
100点の遙か上を目指して指導している。
かなり「非凡」なことも、二人にとっては「平凡」。

これは、算数に限ったことではない。
あらゆることに応用して考える。

例えば、「たまには家事をがんばろう」と思ったとする。
(夏休みの記事に、そんなことを書いた覚えがあるが。)
そこで「自分の子どもの弁当作り」があったとする。
私のように、まともに弁当を作った経験がほとんど無い人間には、かなりの難題である。
加えて、自分が食べるならまだしも、子ども用。
やるとなればまさに「挑戦」である。
しかし、先に紹介した福山先生のように、毎朝自分の娘の弁当を作るのは当たり前の人もいる。
それは弁当作りが「挑戦」ではなく「習慣」となっている。
難なくこなせる。

この習慣形成がカギで、有名な森信三先生の躾の3原則も、これに当たると思う。
挨拶、返事、履き物を揃える。
この3つが当たり前になっていると、それ以前の部分がついてくる。
相手を尊重する態度、思い遣り、物事に丁寧に取り組む姿勢・・・
あらゆることが嫌でも一緒に身に付く。
「意識しなくてもできる」=「自然体」=「当たり前」になる。

結局は、どんな習慣が身に付いているかである。
子どもの指導にもいえるが、まずは主体変容。
自分自身の低い当たり前レベルを変えることから始めたい。

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