2020年9月24日木曜日

教材研究なしの俳句の鑑賞指導

久しぶりに授業実践の記録。


5年生で、次の句を鑑賞した。


目には青葉山郭公初鰹 山口素堂


このまま出されても、小学生には読めない。

いや、大人でも知らなければまず読めない。

だから、教科書には振り仮名が振ってある。

(敢えて漢字を読めないままで進める鑑賞の方法もある。)

特に「山郭公」の部分だが、読みは「やまほととぎす」である。

(ちなみに「ほととぎす」という漢字は山ほど種類がある。)


私は3学級分の国語を担当しているので、3回実践できる訳だが、それぞれ違った鑑賞になるので面白い。


今回、私は敢えて教材研究をしないで授業に臨んだ。

俳句は少しの間だが自分が句会に属してやっていたこともあり、鑑賞については即時であっても一日の長があると踏んでのことである。

(そもそも、句会で出てくる句に投票する際には、その場で作られた句に対して行うのだから、先行知識などありようもない。)


俳句などは、知れば知るほど深く味わえるようになる。

一方で、デメリットとして、知れば知るほど、教えたくなるというのがある。

そうなると、子ども自身による鑑賞のつもりが、こちらの知識先行の指導になってしまう。

先入観があって読むことで、子どもと同じ未知の目線に立ちにくくなると考えて、敢えての挑戦である。


さて、これがなかなか面白かった。


まず、視写した後に、全員で読んでみる。


さっぱりわからない様子。

私も、一読した感じだけでは、正直意味がよくわからない。


とりあえず、景色を見たままを書いている感じは伝わった様子。

いわゆる叙景句であるということだが、その用語はここでは指導しない。


次に、俳句のルールについて確認した。

1 五・七・五

2 季語が入る 

さらに、「季語は原則として一句に一つのみ」ということも教えた。


すると子どもが「文字数(音数)が当てはまっていない」という。

その通りである。

最初の「目には青葉」からして、いきなり六音である。

そこは後で扱うためにとりあえずスルーして、次の問を出した。


「季語はどれか」


当然、子どもは迷う。

出している私も迷ったが、一緒に迷って考えるために出したのである。

(これが、結果的には鑑賞の肝となる主発問となった。)


A 青葉

B 山郭公

C 初鰹


どれも、全て初夏の季語である。

つまり、季語が3つも入っており、これも原則外れである。

子どももそれに気付いている様子。


「季節はいつ?」と確認すると「夏」とくる。

どれも夏のものだという。

「初夏」という言葉を伝え、確認した。


実はどれも季語なので、次のことを教えて問い直した。

「実は、皆さんの予想通り、3つとも初夏の季語です。

しかし、一句に季語は原則一つ。

つまり、どれか一つだけが中心となる季語ということです。

それが、作者の一番伝えたいものです。

さて、どれでしょう。」


きいているが、きいている本人もまだ迷っている状態である。


こうすると

A:B:Cで1:2:4という比率になった。


理由をそれぞれ聞く。


Aの青葉は「最初に出てくるから。大切なものは最初。」

「青葉だけ『目には』とはっきりついているから」ときた。


Cの初鰹は逆に「最後に出てくるから。大切なものは最後。」ときた。


Bは明確な理由が出ない。


ここで、Aの理由を拾って、次のように問うた。


「青葉だけ『目には』とあるけど、他のものも、目で見ているの?」

自分がそう思ったから、きいてみたのである。


子どもは「う~ん?」と唸る。

私も「う~ん?」と唸っている。

改めて、句全体をよく読み始める。


続けて、もう一つ自分が疑問に思っていたので、きいてみた。

「この初鰹は、泳いでいるやつなのかな?」


「そう、泳いでる」

「いや釣っているところだ」

「いや、食べるためじゃ・・・」

私が「刺身!?」ときくと、「そう!」という賛同の声と「え~!?」という声。


散々迷ったので、辞書で「初鰹」を引いてみると

「初夏に市場に出る」とある。

さらに考えてみると「鰹が泳いでるのって・・・目で見たことないよね・・・」ということになった。

つまり、最低でも水揚げされた後である。


さらに「青葉と山ほととぎすは山の中なのに、鰹は海でおかしい」

という意見。

「川に鰹はいないよね?」という話になり、「どこかの山小屋?」「山の中の旅館?」ということになった。

山の中で見られる、さらに日常で見る状態の鰹となると「刺身」が一気に有力説である。


これに続いて「山ほととぎすは、音じゃない?鳴いている声」という意見が出た。

これまた電子辞書でほととぎすを引くと、音声が出るので、鳴き声をみんなで聴いた。

なるほど。いい鳴き声である。

一気に「鳴き声」が有力説である。


これまでの意見をイラストで整理した。

どこでそれを感じているかである。


青葉←目

山郭公←耳

初鰹←舌


となる。

どうやら伝わってくるのは、青葉の素敵な感じ、ほととぎすの美しい鳴き声、それ以上に、「初鰹旨し」という「食いしん坊」な感じの句であるということになった。

「花より団子」である。


単なる文字の羅列でしかなかった一つの句から、命の入った句へと生まれ変わった瞬間である。

子どもと一緒に、鑑賞の面白さを味わうことができた。


読み終わって子どもがいったのが「教科書の句は、原則を全然守っていない」という指摘。

いい指摘である。

そこで「プロになると、原則から外れた、離れ業ができるようになる」という話もした。


その意味を、イチローのバッティングフォームで説明しようとしたが、伝わらず失敗。

ピカソで例えたら伝わるかと思ったら「ピカソはああいう変な絵(キュビズムを指す)しか書けない」と思っていたらしく、撃沈。

何かもっといい例えができたら良かったのだが、とにかく「基本を外れるのは上手になってから」というのは伝わった(はず)。


これは、今回の授業にも当てはまる。

少なくとも、私も小学校教員としては、20年選手に届こうかというところである。

さらに俳句に関して、私自身に多少の知識があったことは、授業成立の要因の一つであることは否めない。

「教材研究しないで授業に臨む」というのは、大いに原則外れであり、通常は失敗する。

指導者が無知に適当に寄り添っていればいい、というものでもないことだけは強調しておきたい。


授業は、面白い。

この授業での発言した一人ひとりに、点数をつける必要はない。

みんなでうんうん唸って考えたから、面白い時間が共有できたのである。

(そして興味をもてずに眠りかけている子どもがいたかもしれないことも、常に念頭に置いている。)


子どもと共に作り上げる授業を、なるべく多くしていきたいと願う昨今である。

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