2020年8月9日日曜日

知識は不要か必要か

先月末、お茶の水女子大名誉教授の外山滋比古氏が亡くなったというニュースが流れた。

偶然にもその時、ちょうど外山氏の次の著書を読んでいたところだった。

次の本である。


『「考える頭」のつくり方』外山滋比古 著 PHP文庫

https://honto.jp/netstore/pd-book_28830658.html


この本の内容が、前号までの「知識が大切」という話と一見真逆の論理を展開しているのである。

例えば次のような文章がある。


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(引用開始)

このようにして知識を増やしているうちに、考える頭はどんどん縮小していく。

教育を受けて知識が増えれば、思考力はよけいに落ちてくる。

これを「知的メタボリック症候群」と言うことができる。

(引用終了)

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また例えば、次のような著名な人の言葉を引用して紹介しているくだりがある。


「学術的根拠をもっているバカほど始末が悪いものはない」(菊池寛)

「世の中にはなんでも知っている馬鹿がいる」(内田百閒)


・・・ここまで読んで「なるほど、知識は不要なのだ」と考えたら、それは枝葉末節な見方であり、拙速である。


一方で、次のようにも書いている。

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(引用開始)

われわれの生活の中には、矛盾したこと、反対のことが、ごく普通に共存している。

(引用終了)

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知識の話においても、矛盾したことが、ごく普通に共存している。

つまり、著名な知識人達が「知識はいらない」と説得力をもって述べているのである。


知識はいるのかいらないのか。

このように二者択一的に考えると、問題は解決しない。

世の中には、矛盾が普通に存在するのである。


さて、結論から言うと、知識は必要である。

しかし、あるレベルを越えた時点から、それが逆にゴミのように邪魔なものになってくる。

それは、以前は自分にとって便利だったものが、今や不要になって無為にスペースを埋めているのと同様である。

しかし、ある人にとっては、今でもやはり有用な道具である。

そういうものである。


さて、どうしてこのような矛盾が起きるのかというと、一つは文脈の違いである。


前号に引き続き、ファッションで例えるなら、パリコレの服である。

パリコレでモデルが来ている服は、奇抜だがおしゃれでカッコいい。

しかしながら、それを外で何の文脈もなく一般の人が着ていたら、ただの奇特な人である。

また、周りと違うからおしゃれなのだが、周りと違いすぎるとおしゃれではなくなる。

おしゃれの矛盾である。


これは、場の文脈が違うからである。

コレクションのショーは、ブランドにおける主張の場であり、「舞台衣装」である。

普段遣い用の販売をねらったものではない。

とてもではないが通常では着ることが不可能なものも含まれる。

もっと身近な例だと、ジャニーズはかっこいいかもしれないが、あのステージ衣装で外を普通に歩いている人がいたら痛すぎる。


場の文脈同様、個人の文脈も違うのである。

どんな体型の人がどんな文化の下のどんな場で着ている服なのか、ということである。

「正解」はないかもしれないが、「最適解」と思われるものは、それによって全く変わってくる。


世に名を轟かせている大学の名誉教授の述べる「知識はいらない」という話を、一般の人にそのまま当てはめられるか。

まずもって、基準となる知識量のレベルが違う。

「多い」「少ない」の幅も全く違う。


「1」となる基準がどのレベルなのか、ということである。

年間1冊も本を読まない人の「今年はたくさん本を読んだ」と、年間1000冊読む人の「今年は本をあまり読まなかった」を比べる。

どちらがこの1年間で多く本を読んでいるかは、明白である。


それだけ膨大な知識をもった上で「知識はいらない」と言っており、これはこの文脈において恐らく真実である。


教師の学び方にもこれは当てはまる。


全く他に学ぼうとしない「我流」で完全にやっている人がいる。

この人は、少し外で学ぶのもいい。


一方で「セミナーマニア」とでもいうような、外にやたらに学びにいく人がいる。

この人は、内を見て目の前の子どもや同僚から学んだ方がいい。


言っていることが矛盾しているようで、実は単に個人の文脈の違いである。


「考える頭」が必要なのは、万人共通である。

ただ、材料たる知識が全くない頭で考えるということは難しい。

一方で、知識と常識に凝り固まった頭で考えるというのもまた難しい。


今日は長崎の原爆忌である。

この戦争について、どう考えるか。

どこか一方から得た偏った知識だけで物事を考えていないか。

あるいは、詳しく調べて知りすぎて、実は自分の考えをもてなくなっていないか。


自らの感性を研ぎ澄まし「考える頭」をもてるようにしたい。

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