2020年8月5日水曜日

いじめとウィルスの密な関係

COVID-19が、また広がり始めている。
この感染症の広がり方というのは、いじめの広がり方に似ていると常々思っていた。
それは「集団が知らない内に爆発的に感染する」という点である。

どういうことか。

いじめというのは、無意識に加担していることがとても多い。
子どもに限らず、大人でも同じである。(ニュースやSNSを見ると、むしろ大人の方がはるかにひどい。)
「そんなつもりはなかった」「自分はいじめてない。見ていただけ」という言い訳が大半である。

自覚症状なく大量感染した集団で、一人を追い詰めるのである。
いじめてくる相手が一人ぼっちなら、怖くない。
しかし大抵は、取り巻きがいるのである。
集団対自分一人になった時、多数の力に圧倒されて「自分が悪い」と思い込むのである。
集団圧力は、真実をも曲げる恐ろしく強大な力をもっているのは、周知の事実である。

自分と周りがいじめを平気でしてしまっている精神に感染していることを、自覚していないのである。
だから、人類史が始まってから何千年経っても、いつまでたっても、なくならない。
いつまでたっても自覚症状なし、目覚めないからである。

ちなみに、オランダ語でいじめをPestenという。
語源は、感染症のペストである。
いじめとペストを関連させるあたり、言い得て妙である。

実際、学校現場で一番気にするのが、子どもや保護者、教職員が感染した後のことである。
もしも誰か一人が感染した時に、周りがどう動くかということである。
これまで以上に感染防止策を取るのは当然だが、その一人への精神的なケアはより重要である。

周りが騒がないことである。
予防はもとより、その後に取るべき対策を冷静沈着にとることである。
感染してしまった人とその家族の心情を思うことである。
あたかも感染した方に何か落ち度があるようなことを言う人も中にはいるが、その人こそが「いじめウィルス」の感染者である。
このCOVID-19は、どんなに気を付けて暮らしている人であっても、いつ感染してもおかしくない状況なのである。

もしもこれで先のいじめのようなことに発展したとしたら、このウィルスに人間が負けたことに他ならない。
明日は我が身、自分とその家族だったらと考えて、何よりも心情を思い、ケアすべきである。
こういうところこそ、学校の授業でよくきく「主人公の気持ちを考えましょう」が生きる場面なのである。

それでこそ、学校の勉強には、意味があるといえる。
小説やら文学作品やら物語やらをたくさん読んだ方がいいのは、こういう時の悲しみや苦しみに共感できるようになるためである。
例えば大ベストセラーの『君たちはどう生きるか』を読めば、大切な仲間を裏切ってしまった辛さを体感できる。
同時に、失敗をしてしまった仲間を思いやる気持ちが育まれる。

明確な治療法の見つからないウィルスだが、せめて、これに負けない心を育む。
今学校では、日本人としての、人間としての心の在り方を試されていると考える次第である。

0 件のコメント:

コメントを投稿

  • SEOブログパーツ
人気ブログランキングへ
ブログランキング

にほんブログ村ランキング