2020年8月25日火曜日

学校での失敗経験は、ワクチン

 現在、COVID-19のワクチン開発が世界中で切望されている。


ワクチンは、弱い毒を植え付けることで、免疫を作るというものである。

小さなダメージを与えることで、強いダメージに対抗できるようにする。


これは、「失敗学」と同じ思想である。

失敗を知り、小さな失敗体験することで、より大きな失敗を防げるようになり、成功に導いていく。


何だか自分で着想したかのように書いたが、実は違う。

前号の「学校教育は失敗を経験する場」を読んで、読者の方が「それはワクチンだ」と教えてくれたのである。


そう。

学校教育で大切なのは、ワクチンの発想である。

無菌状態の温室で育った生物というのは、弱い。

一生その状態をキープできるのならいいのだが、実際は途中で弱肉強食の自然の中へ放り出される。


日本でいうと、学校と社会との断絶である。

幼稚園から大学までは「ほめて伸ばす」「手とり足とり」「あなたは自由」だったのが、社会に出た途端、一変する。


社会に出て「会社でほめられた」という経験がどれぐらいあるだろうか。

ほぼないはずである。

そもそも、仕事とは他者貢献こそが全てであり、自分への称賛を求める場ではない。


社会に出て、「手とり足とり教えてもらえた」という経験がどれぐらいあるだろうか。

ほぼないはずである。

何もかもが「見よう見まね」で、失敗して叱られまくって落ち込みまくって、それでも奮起してきたはずである。

社会は「即戦力」を求めているのであって、いつ辞めるかわからない新人に膨大なコストをかける余裕はない。


社会にでて、「自由にやれた」という経験がどれぐらいあるだろうか。

ほぼないはずである。

公官庁や会社に雇われた場合は言うに及ばず。

起業した場合は自由だろうと思ったら、経理やら何やら、やるべきことは山ほどある。

(この面では、多分、会社に雇われている方がむしろ楽で自由である。)

社会は「やるべきこと」を私に求めてくるのであって、私のやりたいことを求めている訳ではない。


学校教育は、社会のシビアな面を無視してはいけない。

そこを逆に勘違いして、やたら厳しくしたり統制したりするが、それがまた余計に悪い。

従っていれば安泰というような状況に慣れることで、全く動けない人間にしてしまっている可能性がある。


学校では、きちんと失敗をさせるのである。

こちらで全てを掌握せずに、ある程度の責任と権限を与え、チャレンジさせてみる。

まず間違いなく、色々と「やってしまう」。


しかし、そこで終わらせないで、改善を加えながら、何度もトライさせる。

そこで初めて本物の「成功体験」ができる。

失敗もせずにいきなりできることを「成功体験」とは言わないのである。


学校の失敗は、ワクチン。

失敗を恐れないのではなく、むしろ積極的にとっていく姿勢をもちたい。

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