2019年9月25日水曜日

子どもファッションの記号を読み解く

髪染め問題に関連して、ファッションの読み解き方や対応について。

持論だが、ファッションは、記号である。
つまり、「自分はこういう人間だ」「こう扱かって欲しい、見て欲しい」という外的アピールである。

「ファッションに無頓着」というのも一つのファッションである。
つまり「外見に判断を左右されない人間だ」というアピールになる。

スーツや制服も記号である。
「社会的安定」を表す。
スーツや制服を着崩すというのは、社会的安定へのアンチというメッセージになる。
(単に着方やマナーを知らないというのは別問題である。)

染めた金髪も記号である。
周りがそうでないからこそ、反社会的メッセージになる。
「周りの普通とは違う」というアピールになる。
みんな金髪が普通の文化の中では、そのアピールができない。

また、マンガやドラマのキャラクターやアイドルに憧れて染めたい、そういう髪型にしたいということもある。

いずれの場合にせよ、発したいメッセージと、受け取る側のメッセージに齟齬が生まれる可能性がある。

例を挙げる。
「木更津」というとどういうイメージがあるだろうか。(全く知らない人もいるかもしれない。)
元々は、「証城寺の狸」のイメージであり、現に木更津市内にあるマンホールの蓋はどれも証城寺の狸と歌詞の絵柄である。

しかし某映画で有名になったお蔭で、それよりも「ヤンキー」のイメージが強くなったように思う。
だから、木更津では、アイドルも含め、チラシやポスターでも割とヤンキーファッションが多い。
昭和の暴走族の「夜露死苦」なイメージである。
しかし、外国人の考える日本人のちょんまげ問題と同じで、木更津の一般人には、そんな恰好をした人はもちろんいない。

これは一つの「木更津的」という記号であり、文化である。
木更津の一般人的には完全に誤解なのだが、「ヤンキー」は木更津(あるいは横浜)を示す記号である。
(お陰で、一部の人々の中で「木更津は家庭が荒れてるらしい」という誤解があることが判明。もはや完全にネタである。)

だから、ヤンキーファッションをすれば、それだけで「木更津っぽい!」ということをアピールできる。
(木更津の狸のご当地キャラを一度リーゼントにさせたいと思っている木更津市民は、私だけではないはずである。)
つまり木更津市内で荒れてる風を目指してヤンキーっぽい感じにすると、ネタっぽくなってしまい、本当に荒れてるアピールはしにくい。

何が言いたいかというと、教師は子どものファッションを「記号として受け止める」という姿勢で読み解く必要がある、ということである。
例えば高学年女子相手であれば、その奇抜さは「おしゃれに見せたい」のか、「荒れてる」アピールなのか。
読み解き方で、対応が変わる。

割とよくあるのが、夏でも長袖や厚着、フードを被る、マスクを取れないといったパターン。
内に籠っている。(日光に当たってはいけないという理由等のこともあり、その場合は別。)
外と関わりたくない、あるいは身体を見せたくないという思いがあり、そのアピールである。
無理に外させると、心理的に不安定になる。
理解して見守る姿勢が必要かもしれない。

余談だが、海外では外でマスクをしていると、怪しい人と警戒されるそうである。
マスク常用は、旅館の浴衣で出歩くのと同様、日本国内でのみ通用する「常識」である。

閑話休題。

つまりは、ファッションという記号から、感じるままではなく、正しく相手の思いを読み解くということである。
特に低学年であれば、親の思いや方針も読み取れる。
いわゆるきちんとした恰好をさせているようなら、そういう風に育って欲しい、見て欲しいという願いになる。

何日も同じ服を着ている場合はどうか。
この場合の読み解きには、全く異なるパターンがある。

一つは、こだわり傾向の可能性。
自閉症スペクトラムの特徴の一つで、子どもが他の服を嫌がってそれしか着ないのである。
(あるいは単に幼児性がまだ強く、こだわっていることもある。)
親は苦労して毎日洗濯&乾燥をしている、あるいは2着以上同じものを用意している。
学校生活でも、そういう傾向がある可能性を考えて接する必要がある。

もう一つは、ネグレクトの可能性。
着るものをまともに与えられていない。
この場合、大抵は洗濯していないので、臭いが判断基準の一つとなる。
虐待の可能性を含めた丁寧な対応が必要である。

ちなみにここと関連して、公立小学校でも制服という場合があるが、これはいじめから守るための手段ということもある。
制服であれば、家庭の経済格差が表に出ない。
お坊ちゃん、お嬢様風にするためではなく、「配慮の制服」である。
制服というもののもつ、一つのプラス効果である。

ファッションは記号。
これは当然、教師の側にも当てはまる。
自分がどんな風に見られたいと思っているのか、あるいはどんな風に見られているか。
改めて観察してみると、新たな発見があるかもしれない。

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