2019年9月14日土曜日

選書は「観」

夏休み中、気合いを入れてたくさん本を読んだ人もいるかと思う。
「どんな本を読んだらいいのか」という問いをよく頂くのでそこに答える。

結論から述べると、取捨選択。
取るために捨てることが大切である。

本を読むという行為は、心と頭という「無形のもの」への投資である。
投資ということは、資本として差し出すものがある。
何を差し出すか。
お金もそうだが、これは微々たるものである。
最たるものは、時間である。

どんな本からでも学べることはある。
これは間違いない。
一方で、これはあまり必要でない、つまらないと判断したら、それ以上読まずに捨てる(売る)という選択肢もある。
もっといいのは、買う前にその判断をすること。
ネット上でもいいのだが、ここに関しては本物の書店の方がよい。

時間という有限の資源を投資するのだから、よく選ぶ。
これが何よりも大切な最初のステップである。

ブログの特質上、教育に関する本に限定して述べる。

これは「観」が磨かれるものを選ぶ。
ここに尽きる。

これは「こうすると子どもをこう動かせる」という類のものとは対極である。
観を磨くとは、自分の心をどう動かすか、ということだからである。
子どもを含む他人というのは、物理的にも心理的にも支配すべき対象ではない。
まず統御すべきは、自分の心である。

子ども観が磨かれるもの。
教師観が磨かれるもの。
そして人間観や人生観が磨かれるもの。
これらを選ぶ。

教育書を読むのなら、その「観」が書かれているものを選ぶ。

例えば、「こういう時には○○と言えばうまく動く」と書いてあるとする。

これだけの本は、一時的には効果が出るが、長期的には役に立たないどころかマイナスである。
なぜそうするのか、どういう成長への願いがあるのかがわからないからである。
マズローの有名な言葉「ハンマーを持つ人には、すべてが釘に見える」のような状態になる。
なまじっか上手くいってしまった経験が一度でもできると、その方法に固執して、問題の本質が見えなくなる。

そうではなくて、なぜそうするのかが書かれているものを選ぶ。
拙著からで気が引けるが、次の本を例に挙げる。
『お年頃の高学年に効く!こんな時とっさ!のうまい対応』
https://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-140623-3
https://www.amazon.co.jp/dp/4181406237

この本の中に
「高学年女子へは、同僚の女性に接するように」と書いてある。
その理由は、高学年女子が急激に大人へと変化している時期であり、甘えたいと同時に一人前に見られたい時期だからである。

「基本の接し方を、丁寧にすること」とも書いてある。
自分に対して、真剣に話を聞いて、丁寧に対応してくれる人に、悪意は抱きにくいものである。
人として「なめてる」のが良くない対応なのである。
高学年女子で苦労するポイントの肝がここなのである。
大切なのは、子どもとして尊重することに加えて、人としての尊重である。

基本の観がわかると、汎用性が出る。
先の例だと「なぜ丁寧に対応していくべきなのか」というのがわかると、他のあらゆる対応が変わる。
臨機応変が効くのは、観がしっかりしているからである。

読むのは、教育書でなくともよい。
観を磨くには文学作品も役立つ。
夏目漱石の「坊ちゃん」を読んで、自分はあの学校のどの教師に近いか、なぜそういう行動をとるのか感じるのも意味がある。

ハウツーではなく、じっくり観を磨く本を読む。
これだけが、自分の場合の選書のポイントである。

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