2019年9月15日日曜日

「金髪に染めてはいけない」をどう考えるか

夏休み中、採用試験対策として、一部の学生の相談を受けた。

その中で「金髪に染めた子の親から、頭髪も個人の自由ではないのか」と問われたらどうするか、というのがあった。
これはなかなか面白い。
採用試験の答えとしては、最終的にきちんと親に理解してもらい、金髪をやめてもらうという方向になるだろう。
当然である。
そのまま認めてしまうといった無対応や、無理矢理染めさせるというような体罰的回答では落選確定である。

しかし、本当の現場を想定すると、ここはなかなか考えるべきところである。
根本的なところまで深堀りして考えてみる。

金髪自体が悪。
この説は当然成り立たない。
世の中から相当な批判を食らうことになる。
人体の特定の色が正しいとか正しくないとかいうことは、人種差別問題でもある。

次に出るのが
「それが遺伝による自然な色ならいい」という考え。
つまり、不自然だからダメということである。
見るからに「金髪の人種」の人であれば問題ないということである。

この説で問題になるのが、生来色素が薄い子どもたちである。
髪の毛の生来の色が、かなり明るい茶色なのである。
しかし顔は日本人。
「染めた」「染めてない」で揉めることになる。
これは主に中学での「黒染め強要事件」として枚挙に暇がない。

ちなみにこの考えに沿うと、白髪染めは悪、かつらも植毛も悪、パーマもカットも悪である。
「ファッション」「装飾」という概念自体への否定である。

それを出すと、ここに続けて出るのが
「大人はいいが、子どもはダメ」という考え。
これはよく例に出す、中学校の「一年生は白い靴下ワンポイント以外ダメ」みたいな謎ルールの仲間でもある。

この説が最も広い支持を得ている。
この説には、理屈があるだけで、明確な理由はない。
「頭皮への影響」「学校にそぐわない」等の理由付けはできるが、どれも今一つ歯切れが悪い。

なぜかというと、かなりの部分が大人にも当てはまってしまうからである。

ちなみにここまで書いておいて、私も多分実際には、髪色を戻す方向に家庭を促す。
なぜかというと、日本の学校社会において多くの人の支持を得ているのが、先の「大人はよくても子どもはダメ」説だからである。
これは「きちんとした接客業では金髪はダメ」というのと同じで「不快に思う人が多いから」である。

特に、中年から高齢者の層には嫌悪感が根強い。
そういう常識の中で生きてきたのだから、当然である。
その集合無意識を今更変えることなど到底できない。

国際社会としての常識はどうか。
頭髪を含めたファッションは「場に合うもの」というのがセオリーである。
場がオープンであるほど、自由度は増す。
フォーマルなパーティーにおいての服装と、ホームパーティーのファッションが違うのは当然である。
また様々な人種と文化が混じるオープンな国において、その自由度が増すのも当然である。

日本の学校社会というのは、オープンな場ではないということである。
かなり閉鎖的である。
よって、小学生段階で金髪に染めていて、後々に周囲に拒否されることは十分に予測可能なことである。
(子どもたち同士の間では特に抵抗がないかもしれない。)
だから、「指導」対象となる。

場の常識が変わらない限り、この流れは変わらない。
金髪でもピアスでもいいじゃないかというのは簡単だが、場の常識がそれを認めない。
もしここに異論があるなら、場の常識を変える必要がある。

学校の常識、日本社会の常識。
これを見つめ直すにおいても、この「金髪染め問題」は考えるべき題材である。

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