2019年1月13日日曜日

子どもの成長を確実に阻害する方法

17年半の間、学級担任として様々な子どもたちを見てきた。
同時に、様々な保護者とも接してきた。

教育において、環境は大切である。
地域というのは、多様性において無視できない要素である。
山間の学校。
街中の学校。
新興住宅地。
私立学校や附属学校。

それぞれ、かなり生活スタイルの異なる人々が暮らしている。
それぞれに良さもあり、大変な面もある。
しかし、どの環境に暮らす人であっても、共通項は見えてくる。

今日紹介するのは、そんな多様な状況の中で見えてきた、子どもの成長を確実に阻害する方法である。
これを裏返せば、すべての子どもの劇的な成長を促す方法ともいえる。

これは、多くの人にとって、多大な興味があるのではないかと思われる。
研究者による社会実験等の結果ではなく、あくまで私の現場感覚による実感だが、自信がある。
信じるも信じないも自由である。
その程度で読んでいただきたい。

ずばり。
成長を阻害する一番の方法とは、



「心配しすぎ。」



これである。
親でも学級担任でも同様。
これに尽きる。

この傾向があると、とにかく「指示」「注意」「禁止」が多くなる。
更に「他責」が加わる。
子どもに対しても心配だし、担任の先生や学校、習い事のコーチに対しても心配なのである。
(そんなに心配なら全部自分で世話してください、と特に習い事や保育園の先生は強く思っている気がする。)

当然、子ども自身も、心配性になり、指示待ち傾向が強くなり、他責的になる。
自分が失敗するのは、指示を出した親や教師、あるいは周りの仲間の責任であると考えるようになるからである。
これに伴って、いじめる、いじめられる、傍観、便乗するという傾向にもつながる。

ちなみに心配とは「慎重」とは違う。
慎重とは、熟考し、軽々しく断定や行動をしないことである。
大局を見る視点であり、こちらは大切である。
(私は、慎重に見てきた上で、敢えて断定して述べている。)

ここでいう「心配」とは、失敗を無暗やたらに怖れて子どもの挑戦を阻止し、先回りして解決しようとする行為である。
この一文を読むだけでもわかると思うが、これを習慣的に行えば、子どもがどういう方向に育つかである。

過剰な心配性は

臆病
事なかれ主義
他者依存
他責

ひいては他人に対し
指示・支配的
聞く耳をもたない
失敗を責める
挑戦を馬鹿にする

こういった傾向を強めるだけである。

愛する我が子に失敗させたくないのはわかるが、これでまともに育つはずがない。
まして担任がその傾向だと、学級集団の全員がそうなるので、負のスパイラルである。

要はこれを裏返せば、子どもが劇的に育つ方法になる。

つまり、心配しすぎないこと。
教えたら、とりあえずさせてみて、失敗しても励ます。
信頼して、だんだんと任せていく。
愛情をもって見守ってはいるけれど、基本的に口出し、手出しを控えて我慢する。

強く育っている子どもの親や学級担任は、大抵これをやっているようである。
だから、子どもが自信に満ち溢れている。
少しぐらい失敗しても叱られても、へこたれない強い子どもになっている。

書いていて気付いたが、これは山本五十六の有名な言葉と全く同じである。
====================
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
=====================

今回は子育ての話だが、上司と部下というような関係にもほぼ完全に当てはまる。
自分を信頼してくれる上司のもとでしか、人は育たない。
いつも心配ばかりされて、厳しいチェックと指示、叱責ばかりの上司についていきたい人はいない。
(しかし部下の立場でこれに甘えるのは間違っている。大人なら、自分がしっかりする方が先である。)

子どもを「所有物」「私物」化しているから、心配性になる。
子どもは一人の自立した人格なのである。
親のものではないし、ましてたかだか一学級担任のものであるはずがない。

要は、いちいち細かすぎなのである。
他者にそんな関心をもつ暇があるなら、自分の心配をしなさいということである。
心配性の人が一番心配である。

愛しているなら、心配しすぎない。
愛しているなら、信頼して任せる。

子育て、人材育成の肝である。

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