2018年1月11日木曜日

仕事を「道楽」に

去年の勤労感謝の日のメルマガから。
この日は働くことを尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝をする日である。

この互いへの感謝というのは、大切であるといつも感じている。
満員電車は誰でも嫌だが、実は電車を満員にしているこの人々のお陰で、自分も快適に生きられているのである。
それを思い出さないと、周りの「赤の他人」が皆邪魔者であるが如く、不遜な態度になりがちである。

「職業に貴賎なし」の言葉は、解釈を間違えなければ、正しい。
仕事は社会における役割分担であり、どの職業も欠くべからず、必要である。
(ただし、この場合の「職業」というのは、社会に役立つものを指す。
窃盗団や詐欺集団の如きものは、この場合の「職業」とはいえない。
社会の多くの人々への幸せに貢献しないからである。)

働くことは、尊い。
歴史に名を残す大富豪は、どんなに富を築こうとも、働くことをやめない。
労働が喜びだからである。

明治から昭和にかけて大活躍した、本多静六という偉人をご存知だろうか。
日比谷公園の設計や明治神宮の造林等、数えきれないほどの功績と共に莫大な富を築いた人物である。

本多氏の次の本に、かの渋沢栄一氏の言が紹介されている。
『私の財産告白』本多静六 著 実業の日本社文庫
http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-55122-7

渋沢氏曰く、本多氏がすすめているのは「職業道楽」なのだという。
そして、金は「道楽の粕」であり、ついでに、また盛んにその粕を溜めることが肝要である。
順番として、道楽、即ち生きる楽しみとしての職業があり、それに付随してお金がついてくるという考え方である。

教師の職業を「道楽」と言うと、お叱りを受けるかもしれない。
「道楽」の指すところの意味が、「本業」ではないからである。
しかしもし仮に、教師の仕事を「本業」であると同時に「道楽」であるとして考えてみる。

学級を組織する、学力をつける、子どもを守るといった諸々は、間違いなく「本業」である。
好むと好まざるとに関わらず必須事項であり、それこそが仕事の中心である。
しかし、わくわくしながら教材の準備をしたり、わざわざ書かせた日記を読んでコメントするのは、「道楽」であるともいえる。
やりたくてやっているからである。
いや、それも本業だ、と言われればそれまでだが、やらなくてもよいのである。
好きでやっているのだから、やはり道楽であるともいえないだろうか。
ちなみにその視点でいくと、私にとってのセミナーや執筆活動は、間違いなく「道楽」である。
人々の役に立てたり、喜んでもらえることは嬉しい。
100%自分がやりたくてやっている活動である。(しかも、やめても誰にも迷惑をかけない。)

他にも、この本には
「人生即努力・努力即幸福」
「二杯の天丼はうまく食えぬ」
など、名言揃いである。
慶応年生まれの人物の言葉だが、平成の時代を生きる私たちにも大いに役立つ。
「働く」ということを考える上でも、おすすめの本である。

生きているうち働けるうち日の暮れぬうち(相田みつを)
今日は日々働けることに感謝し、周りにも感謝したい。

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