2023年9月16日土曜日

真理は、証明を索むべからず

 真理は、証明を索(あなぐ)むべからず。


この言葉は、次の本から見つけた言葉である。


『哲人哲語』中村天風著 天風会(1957)


真理というものは、それそういうものとして存在する。

それは、証明する必要がないものである。

この本の中では「西賢の哲」の言葉として紹介されているが、それがソクラテスなのか誰なのかはわからない。


証明しないものは納得できない、というのは、なるほど科学的立場からすると正しい。

科学はどこまでもそういう側面をもつ。


しかし、宇宙には科学で説明できないことで溢れている。

宇宙の真理が解明されるまで納得いかないからと動かずに待っていたら、あっという間に今世が終わってしまう。

その態度を貫くのであれば、自分自身の生命や存在も納得できないということになる。

生きていることの全てが「証明不可能」という真理である。

否、今生きていること自体、生命がここにあるということ自体が、証明不要の紛れもない真理である。


ここまで哲学っぽく書いてみたが、これは単なる前提のおさえである。

教育メルマガとして今回の書くべきことは

「それはそういうもの」

と素直に認識し、そのように生きていくことの大切さである。


問う必要のないものを問うことがある。

それは、何でも問えば科学的に説明できるという誤解があるからである。


例えばそのように出される問の一つが

「なぜ人を殺してはいけないか」

である。

言うなれば「サイコパス」な質問であり、何か特殊な状況でない限り疑問にすら思わない問である。


色々と理由を言えるものの、厳密に考えると答えは見つからない。

例えば「戦争時には英雄として称えられる」という面もある。

凶悪犯罪に対する死刑の場合や深い怨恨による場合など、心情的に正当化することもできる。


この問に対しては、正否どちらに対してもいくらでも後付けで理由はつけられるが、それら一切は必要ない。

人を殺してはいけないのである。

よくわからない力によって人として生まれさせてもらっただけの者。

それが同じように生まれてきた人の命を奪っていいという道理はない。


当たり前のことである。

こういう真理として決まっていることをぐちゃぐちゃとやると、訳がわからないことになる。


教育が崩れてきているのは、こういう面によるところがかなりある。

真理については本来「なんで」も証明も不要なのである。

堂々と教えればいい話なのである。


もし小さい頃に教えるのならば

「人を傷つけてはいけないよ」

だけである。


本来は、それすらも必要ないはずなのである。

生後数か月の赤ん坊ですら、困っている人を助けようとする本能があるという実験結果もある。

(この実験結果は複数の本で読んだことがあるが、どの本かはっきり言えない。

数年前に上越教育大学大学院教授の赤坂真二先生の講座でも聴いたことがある。)


この理由は、人間がどこまでも社会的な生き物だからであるという。

「助け合う」という本能は、生まれた頃から脆弱な人間にとって、集団としての生存確率を大幅に高める。

実に理に適った行動であり、色々とがんばって証明せずとも、真理なのである。


一方で、同種間の生存競争として、排他的になる面もある。(動物の世界、特にオスに顕著である。)

しかしこれも、無理なことをすれば、結局自分の首を絞めることになる。

「困っていたら放っておけない」という、集団における助け合いの精神がデフォルトで備わっているのである。

人間は、放っておいても、実に親切な生き物なのである。

(実生活だと、やりすぎてお節介にもなりがちであるが、本能行為だと思えば仕方がない面もある。)


本題に戻る。

真理は、証明を索むべからず。


つまり、教えるべきことはきちんと堂々と教えよ、ということに繋がる。

特に幼児期から低学年において、「それはそういうもの」については、徹底的に教えればよい。

どうせ何を教えても永遠に「なんで」が出るのだから、自分が上手に証明できないことを気にせずともよい。


ただせっかくの「なんで」を無下にしてもいけないので、自分で知っている小さい範囲である程度説明した後は

「何でだろうね。でもそうなんだって。」で、終結である。

証明できないものを無理に証明しなくてよいのである。(それを証明すること自体が道理に反する。)


何かしてもらったり、受け取る時には「ありがとう」を言う。

何かをしてもらう時には「お願いします」という。

誰かが困っていたら一声かける、助ける。

がんばっている人を馬鹿にしない。

誰かがものを落としたら拾って渡してあげる。


こういうことを、教える際に躊躇しない。

小学生でも「なんで?」ときかれたら、「その方が嬉しいから」くらいでいい。

明確な理由や証明は不要である。


逆を言えば、真理でないことに無思考に従う態度は排すべきである。

おかしいことはおかしいと言えねば、人間としての甲斐がない。

そのあたりは『不親切教師のススメ』で詳しく述べているので参照されたい。


真理は、証明を策むべからず。

心に留めておきたい名句である。

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