2020年12月19日土曜日

主体的に教えてもらう

主体性とは何か、常々考えている。


座って黙って話を聞いている。

これは客体か。


そうとも言い切れない。

主体的な座学は存在する。


意識の問題である。

「教えられている」のか「教えてもらおう」としているのかの違いである。


「教えられている」意識は、客体である。

自分はインプットされる側であり、相手に主体がある。


一方で「教えてもらおう」という意識は、主体である。

インプットしたい内容を相手から引き出そうとしている。

それは働きかけであり、アウトプットである。


自分の内側への問がないと、教えてもらおうと思えない。

わからないから、教えてもらおうとするのである。


一方で、教えられている意識に、自らへの問はいらない。

放っておいても、お願いしなくても、求めなくても、相手が教えてくれるからである。

そこに自分は関係ない。


自分が学びに行く場を考えてもわかる。

自分の問題意識があり、それを師に教えてもらいたくて、師の話を黙ってきく。

これは、極めて主体的であると考えている。

これは座学だろうがオンラインだろうが、同じである。


授業を受ける。

ただ教えられているのか。

教わろう、教えてもらおうとしているか。


この意識の違いで、学びの質は全く異なると考える次第である。

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