2019年8月17日土曜日

それは「ひどい」か「勇気づけ」か

信頼関係の大切さについて。

7月、アドラー心理学の学級経営セミナーを開催した。
主催者となると、参加者の出欠管理や運営全般に責任をもつことになる。

やってみると分かるが、とにかく色々と詰めが甘いのである。
ちょいちょい、ミスが出る。

そうして落ち込んでいると、仲間の一人がこう言った。
「何言ってるの?松尾さんがやったんだから、当たり前でしょ。」

この文面だけ見ると、ひどいと感じる人が多いかもしれない。
ここがポイントである。

私は、この一言で、すっと肩の荷が下りた。
なるほどと納得した訳である。
「勇気づけ」されたのである。

この一言をかけてくれたのは、私が最も信頼を置く親友である。
つまり、この人は、私のダメな面をとてもよく知っている。
私も、相手に対して同様である。
いわゆる「気の置けない友人」である。
その上で、先の言葉なのである。

もしここでこの友人に「元気出して」「大丈夫だよ」などと優しく言われたら、相当凹んでいたと思う。
むしろ「何に凹んでるの?」「頭大丈夫?」ぐらいの勢いであった。
狭窄的になっていた視点から、正しくメタ認知させてくれた。
だから、一気に元気が出た。

ところで、なぜ私が小さなミスぐらいで落ち込んだのか、分析してみたらわかった。

そう。
ここ最近、サークルに参加できていなかったのである。
そうすると、人間関係も職場が中心になる。

私は、職場の中でも勤続年数が二番目に長く、年齢的にも上の方である。
しかも立場が学年主任である。
つまり、何かと意見されにくい立場にある。
「できる」でなければならないと勘違いされやすい&勘違いしやすい。

この友人の一言で、我にかえった。
そう。
私は、もともとミスが多いのである。
だから、『「捨てる」仕事術』でも書いたように、机上整理の大切さが実感できているのである。
仕事が遅いしミスが多いから、そうならないための工夫を編み出せたのである。

何で一人でがんばろうとしていたのか。
責任感という名の、独りよがりである。
信頼できる仲間たちへ、任せていけばいい話だったのである。

思えば、いっぱいいっぱいの人というのは、大抵人にうまく仕事を頼めない人である。
「人に任せるより自分がやった方がはやい」と言って、全部抱え込んでしまう人である。
責任感があるといえばきこえがいいが、多くは単に無理しすぎである。
(逆に、無責任すぎて自分でやるべきことをやらない人がいたら、それはそれで困る。)

話を元に戻す。

字面だけだとひどいと思うような文面でも、文脈によって意味は全く変わる。
例えば関西の人にとって「アホ」は挨拶でもあり、誉め言葉ですらある。
文脈、つまりそこでの文化や、相手との関係性が全てである。

子どもへの声かけも同様。
何という言葉が響くのか、何という言葉が「最適解」なのか。
励ましたい時に褒めればいいというものではないし、悪いことをした時に叱ればいいというものでもない。
その答えは、関係性の中、信頼関係の中にしかない。

教育に限らず、人間関係においては、信頼関係の構築が何より優先されるべきことである。

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