出版記念セミナーでの学びのシェア。
教室で座っていられない子どもをどうするか、というのが複数の方の共通の悩みに上がった。
「教室を飛び出す」という悩み。
もう一方は「お散歩に行ってきます!」といって廊下からぐるっと他の階を回って帰ってくる子ども。
これは、明らかに後者の状態の方がよい。
つまり「飛び出してしまう」を「出ます」と言ってから出るようにするということである。
衝動的に飛び出してしまうのは、身体的・精神的な欲求不満の爆発である。
一方で、宣言してから出るというのは、かなり自覚している。
「いや、教室で座っていてくれる方法が知りたい」と言われるかもしれない。
これは、無理である。
「動くものは動く」のである。
子どもは、自然に動く生き物なのである。
十分動いたら、自然と疲れるか飽きるかして座ることもある。
(注:こともある、程度である。)
これが前提として必要である。
動かさない方法ではなく、安全に動く方法を考える方が成功する。
一方、お年寄りは、あまり動かないのが一般的、自然である。
「いや、うちのおじいちゃんは徘徊して困る」という声もあるかもしれない。
しかし徘徊という行為も、背景には目的があるという。
何かを探しているのである。
目的があって動いているといえる。
子どもが動き回るのも、目的がある。
本能が動きたいのである。
本能を抑えることはできない。
それが自制できるまで発達を待つのが自然である。
だから、動き回らせる。
ただし、教室に帰ってこないのも困る。
ついていける人がいればいいのだが、大抵はいない。
校外に出るなどして、危険な目にあってはいけない。
だから、ここは交換条件の提示である。
「廊下を歩いてきていいから、一周して帰ってきて。」
というように、その子どもができそうな条件を提示してあげる必要がある。
無理めなやや高めの条件を提示した後に、「じゃあ」と条件を落としてうまく譲歩する。
「緩くしてもらった」と思わせることが大切である。
(セールスの手法と同じである。)
さて、「お散歩行ってきます!」宣言の子どもはどうレベルアップさせるか。
あくまで一つの例だが、「そろそろお散歩行ってきたら?」と逆にこっちから先手をとって促す方法がある。
言われると、やる気が失せる。
欲求は、抑えようとするから大きくなるのであって、促されると逆にしぼむという性質がある。
(「勉強やりなさい」の声かけが最悪の手法ということと同じ理論である。)
いつでもいくらでも、と言われると、それの価値が下がるのである。
これでもちろん「じゃあ、行ってきます!」となってもいい。
また促す。
また促す。
するとやがて「いや、今はいいや。」「結構です。」と言い出す可能性がある。
これは、私の実際の体験で、こんな感じで段階を踏む手もある。
このセミナーでも冒頭から言っていたことだが、どの方法であっても、「文脈」が大切である。
どういう関係性の中で使うかが全てである。
万人への正解はない。
ただ「子どもは動くものだ」という前提をもつことで、解が広がるのではないかと思う次第である。
2019年8月4日日曜日
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