2019年8月10日土曜日

善意には責任が伴う

大学の危機管理に関する授業中「善意には責任が伴う」という言葉に出会った。

学校の、様々な「特別対応」。
昔はなかったものが、かなりある。
今は、「当然」のこととして、様々な新たな業務が、日常的に行わている。

学校として、できれば「より良い」もの、あるいは、みんなと「同じ」状況を提供したい。
そんな思いがある。
この流れの根幹にあるのは、子どもへの善意である。

しかしながら、善意には責任が伴う。
特に危険を伴うあらゆることを特別対応として行う場合、徹底する必要が出る。
この「徹底」というのは、いうほど簡単なことではない。

普段の教育の世界における「失敗してもいい」という価値観が通用しない場面がある。
人命がかかっている場面である。
たった一つのミスで完全にアウト、という可能性のある場面である。
まさに「危機管理」である。
これが毎日の対応であれば、日々危ない橋を渡るような緊張感をもつ必要が出る。

例えば、登下校時の交通事故や不審者への危機管理である。
例えば、重いアレルギーをもつ児童への危機管理である。
例えば、虐待が疑われる児童への危機管理である。

「忙しい」という状況は、ここに致命的なミスをもたらしかねない。
ばたばたしていると、危機を見過ごす。
「うっかり」では済まされない恐ろしさがある。
しかし、学級担任が「忙しくない」という状況も考えにくい。
常に危機管理に直面している状況である。

そういう覚悟をもって、3つの「マネジメント」が必要であるという。
1リスクマネジメント→未然防止
2クライシスマネジメント→事故対応
3ナレッジマネジメント→知の共有化
の3つである

書き出してみると、学級経営そのものに相通じるものがある。
事故が起きてからのクライシスマネジメントというのは、結局応急処置でしかない。
そこのナレッジマネジメントからのリスクマネジメントという流れの、根本的な改善が望まれる。
過去何度も書いている「失敗学」の大切さである。
重大な失敗、事故ほど、起きる前によく知っておく必要がある。

話を戻すと、それらの対応には責任が伴う。
以前はなかったものであっても、やるとなったら責任が伴う。
以前紹介した「恩恵は権利に変わる」という話とも関係する。

一度善意で何かをやると決めたからには、最後まで責任をもつ覚悟が必要である。
何でもかんでも、個人の「善意」で対応しようとすると、それ自体が大きな危機を招くかもしれない。
「善意」も一人で行うより、チームマネジメントが必要である。

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