2019年8月30日金曜日

幸せな人生は幸せな子ども時代から

宿題の話が続いたので、目先を変えて。

そもそも、何でそんなことに拘るかというと、学校とは、子どもが幸せに生きる力を育むことが大切だからである。
それは、今だけよければいいのでもなく、将来だけよければいいのでもない。
今の子ども時代も幸せで、かつ将来大人になっても、老年期になっても幸せに生きていることが大切である。

だから、将来のためには、学校のたくさんの宿題で苦労をしていいのだという、今を犠牲にする考えには反対なのである。
大量の宿題をどんなにこなしても、あたたかな人間関係を築く能力は身に付かない。
子どもの能力を超えた過度な習い事や受験勉強に関しても、同様の考えである。

人生における幸福は何で決まるか。
地位や名誉か、安定した暮らしか。
否。
全く別の要素である。

これは、「グラントスタディ」という80年以上にわたる縦断研究の結果で明らかになっている。
私は先日、これを大学の授業で見た。
そういえば、赤坂真二先生も以前セミナーでこの実験結果に触れていたことを思い出した。
(参考動画:TED ロバート・ウォールディンガ─ プレゼン動画
https://www.ted.com/talks/robert_waldinger_what_makes_a_good_life_lessons_from_the_longest_study_on_happiness?language=ja

要は、大人になってあたたかな人間関係を築いていることが、健康と幸福に大きく寄与するということである。
「あたたかな人間関係を築く」というための能力が、子どもの今と将来を見据えた幸せな人生のために最も必要といえる。
これは、他者との相互信頼の関係である。
人に頼り、頼られる人生ほど幸福なことはない。

学校では、あたたかな人間関係を築く、ということを当たり前に、常に行い続ける必要がある。
単なる個人的な好き嫌いを越えて、協働していく力である。
誰とでも緩やかに繋がれる力である。
多様性を当たり前として受け容れる力である。

一律の宿題は、ここを冷やす。
能力や環境の多様性を認めない。
協働もできない。
課題に対し「できた」「できない」の世界である。

受験競争も同じである。
自分はできて、あいつはできない。
あの子は自分よりランクが上で、あいつは下。
かなり注意しないと、そういった冷たい上下関係を自然と作ってしまう。
スポーツ等の競争系は注意しないと、特にこれを生み出しやすい。

失敗してもいい土台。
誰かが何かをうまくできない時には「助けて」「任せて」「ありがとう」「お互い様」と言い合える風土。
この醸成に何よりも力を注ぐ。

子どもの「今」が犠牲になってはいけない。
かつ、将来を無視してもいけない。
今も将来も生かすのは、一生続くあたたかな人間関係づくりの力である。

個人の能力を磨くのは、つまるところ他者に貢献するためともいえる。
無人島でどんなにスキルを磨いても、役立てる相手がいない以上、幸福にはならない。

自分も貢献できると感じるほどに、頼ることも容易になる。
頼ることで、自分も貢献できる人間になっていこうという順番でもいい。
これは、医者に命を救われて、自分も医者になりたい、というようなことである。
地位や社会的名誉に憧れてなるのとは全く訳が違う。

大学の授業で話し合って面白かったのは、若い人たちは、個人の自己実現に重きを置き、我々壮年期の世代は、だんだんと他者貢献に重きを置く点である。
つまり、年齢を重ねるに従って、自分の能力を磨くだけでは足りないと感じるようになる。
あるいは、自分の限界を設定しだすのかもしれない。
ただあたたかな人間関係が必要という点は、どの年代でも共通事項である。

幸せな人生は、幸せな子ども時代から。
それはあたたかな人間関係から。
各家庭の事情は違えど、せめて学校は幸せの土台づくりの場でありたい。

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