2013年7月30日火曜日

親V.S.子 折れるのはどっち

子どもは親より立場が弱い。
身体の大きさも権利も小さく、養育されているのだから当然である。

しかし親の立場も、視点を変えると実は弱い。

例えば、幼児が食事をふざけて食べないとする。
「もうご飯作ってやらない!」と拗ねたところで、養育の責任がある以上、困るのは親の側である。
結局、何だかんだで食べさせるはめになる。
子どもは「してやったり」の笑顔である。

「一食ぐらい」とは思うが、結局困るのは養育を一手に担う親側である。
風邪一つひかれても、苦労するのは親である。

そう考えると、素直にきいてくれる子どもというのは、本当に「有り難い」ことである。
大人と子ども、互いに感謝の気持ちを持つようにしたい。

2013年7月28日日曜日

校外学習は予備知識がカギ

かなり遅れるが先日のワールドカップ予選最終戦の話から。
私もサッカー部だったので、サッカーの試合は見ていて面白い。
サッカーに興味のない人と、大ファンの人、経験者、それぞれ見方が違う。
見えるものが違う。
解説者などは、めちゃくちゃ「見える」人である。(多分。)

本田選手が後半43分でPKを決めた。
決めたこと自体がすごいのだが、この場面も人によって感じ方は千差万別である。

私は自分のポジションがFWだったので、PKを蹴る場面も多かった。
やったことのある人はわかるが、PKのプレッシャーはすごい。
「決めて当然」の場面ゆえ、「絶対外せない」のである。
キーパーは「決められて普通」なので、逆に「ヒーローになるチャンス」である。
(と、キーパーの友人が語っていた。よくPKを止める男だった。)

相手がハンドして審判の笛が鳴った瞬間、本田選手は即座にボールを抱え込むように持った。
あの大舞台で、迷うことなく「絶対俺が蹴る」という感じでボールをセットした。
そこに感動した。
すごい責任感である。(いや、作戦で決まっているのかもしれないが。)
しかも、ど真ん中に蹴った。
すごい度胸である。
決めたことより、そこに感動した。

そういう感動をするのは、多分経験者だけである。
そこに関して知識と経験があるから、感動する。

知識と経験で、見えるものが違う。

例えば、校外学習で鎌倉に行く。(やっと本題)
八幡宮の舞殿を見る。
「義経の恋人の静御前がここで頼朝に反抗したのか」としみじみ眺める子ども。
ただ「鳩が多いなぁ~」と口をあけて見ている子ども。
倒れた後の大銀杏を見る。
「実朝への公曉の恨みがここで晴れたのか」と歴史に思いを馳せる子ども。
「銀杏倒れたんだなぁ~」と思うだけの子ども。
同じ時同じ場所に行っても、得るものは天と地の差である。

事前の知識量が多ければ多いほど、得るものも比例して多くなる。
校外学習は事前学習で予備知識を蓄えることが肝である。

2013年7月24日水曜日

床に物を置かない

「時を守り 場を清め 礼を尽くす」
森信三先生の有名な言葉である。

今回は「場を清める」ことについて。

その場にある物は「気」を発するという。
荒れた物からは荒れた気が出て、空間に影響を及ぼす。
掃除は、場を清めると共に気を整える行為でもある。

何度も指導したことは、子どもも覚える。
そうすると、合い言葉のように返すようになる。
その中の一つに
「物の扱いは?」「人の扱い!」
というのがある。

物の扱い方と人の扱い方(接し方)は同様、という考え方である。
そう考えると
「物は両手で扱う」
渡す時は「どうぞ」
受け取る時は「ありがとう」
なども、全て合点がいく。

「床に物を置かない」とも教えている。
実質的には、つまずいて転ぶということもある。
しかし何より、物をぞんざいに扱うその心構えを正したい。
紙くずなどのごみも物の一つであるから、それも拾う。
「誰が拾うの?」「自分が拾う!」
「いつ拾うの?」「今でしょ!」など掛け合いも楽みながら行う。
(ややブームが去った感もある。)

床に物が置かれていないか、という視点で教室を見てみると、発見があって面白いと思う。

2013年7月22日月曜日

「何をやるか」ではなく「何のためにやるか」

タイトルは、先日の「あこがれ先生プロジェクト」の主催者の中村文昭氏の言。
この言葉は授業に応用できる。

例えば、算数の授業で、分数の割り算を学習する。
「何をやるか」は「分数の割り算」である。
では、それを「何のためにやるか」と問う。
子どもに問うので、当然教師の側は解(解釈)を持って問う。

中村氏の話に、次のようなものがあった。
ある小学校で講演を頼まれ、何の為に勉強してるのか小学生にきくと、明確に答えられない。
「親が勉強せいって言うから。」
「義務教育だからですかね?」
正直である。

一人だけ、「医者になるためです」と答えたという。
「父のように人に感謝されて役に立つ人間になりたい」という。
「医者になるには、国家試験。
国家試験合格には、医学部のある大学。
医学部のある大学は、難関校。
難関校に入るには、中高でバリバリ勉強ができること。
そのためには、小学生のこの時点でできることをやる。」
(CD「中村文昭のしゃべくり壱~師匠の教え~」より要約)

そして、この子は、勉強の前におまじないを唱えるという。
「よし、今から医者になるために○○するぞ。」
○○には勉強をはじめ、手伝いや掃除など、様々な言葉が入る。

別に医者に限らない。
あらゆる子どもに、大人に、必要な考え方だと思う。

今日は、何のために授業をするのか。
今日は、何のために出勤するのか。
今日は未来のどこへつながっているのか。

「よし、今日も○○のために仕事へ行くぞ」
と、一念発起してがんばりたい。

2013年7月19日金曜日

勝負の先の指導~陸上記録会や運動会を終えて~

陸上記録会や運動会が終わる。
その時、何を子どもに言うか。

勝とうが負けようが必要な指導がある。

一つは、子どもに「成長の自覚」をさせること。
行事に参加する前と終わった後で自分がどう変わったのか。
よく行事が終わると思い出作文を書かせるが、成長や変化を書かせるのも良いと思う。
書くことで成長を確認して自覚することができる。
成長を言って聞かせ、書かせてみせて、さらに誉めてやるのが良いと思う。

もう一つは、「感謝の心」を持たせること。
もし勝ったなら、それは誰のお陰様なのか。
自分の勝負なのだから、自分が努力したのは「当たり前」である。
しかし、周りの協力や助けは決して「当たり前」と思ってはならない。
「有り難い」ことである。
ここも成長と同様に自覚させる必要がある。

勝負に勝ってもそこが抜けたら、意味がない。
勝って驕り高ぶるようなら「平家物語」と同じである。
そうなるなら負けた方がずっといい。
「勝って兜の緒を締めよ」という諺もそこで教える。

勝ったからこそ学べること、負けたからこそ学べることがある。
結果がどうあれ、全てを子どもの成長につなげるよう指導したい。

2013年7月17日水曜日

偉い人は違う人

最近、よく手紙や葉書をいただく。
卒業生からもあるが、各種の勉強会で知り合った方々からも多くいただく。
教師に名刺なんて、と思っていたが、やはり必要である。
つながりができる。

そもそも名刺を持つようになったのも、ある出版社の社長さんからの教えである。
セミナーや勉強会に出るなら名刺は持っておきなさいと教えていただいた。
帰ったらすぐ作りなさいとも言われた。

それで、すぐ作ったら、意外と配る機会がなかった。
なぜかというと、自分から交換に行かなかったからである。
「どうせ自分なんて」精神のもと、講師の先生に声をかけるなんて恐れ多いと思ったのである。
周りの人々に対しても同じである。

この精神でいくと、永遠につながりが広がらない。
講師の先生など、実は話しかけるとすごく丁寧に対応してくれる。
講師以外も、勉強会に参加する人はつながりを広げようと積極的な人が多い。

知り合いに行動力のある人がいて、物怖じせずに講師に積極的に質問をしに行く。
すると、何かしら得てくる。
これを見習って、なるべく自分からいこうと思った次第である。

最近驚いたのは、先日紹介した大変腰の低い講師の方から届いた封筒である。
西村徹先生という。
手紙だけでなく、様々なプレゼントまで入っていた。
私なぞにも届くぐらいだから、多分、他の人にも贈っている。
かなりの労力だと思う。
名刺交換して言葉を交わしただけなのに、この行動力には恐れ入るばかりである。

「偉」という字を見る。
「韋」は「はなれる 人並み外れる」という意味である。
(例えば、走るのが人並み外れて速いことを「韋駄天」などという。)
つまり「偉」とは、他の人とはちょっと違うことをする人のことである。
この西村先生のような方のことである。

ところで、「しんにょう」は「道」を表す。
つまり、「間違える」ということは、偉くなるための道である。
挑戦せずにじっとしていることとは「えらい違い」である。
自分も色々挑戦して、子どもにも「間違って、偉くなろう」と教えたい。

2013年7月13日土曜日

将来つきたい職業は?

教師という職業は素晴らしい。
しかし、結構そのことを忘れてしまって過ごしてしまうことが常である。

先日紹介した「あこがれ先生プロジェクト」のある講師の方の話に驚いた。
クラスの子どもにに「将来つきたい職業」のアンケートをとったという。
一位は何が来るだろうか。
スポーツ選手やアイドルだろうか。
女子は「パティシエ」という、昭和生まれにはなかった呼び名の職業が上位に来る。
医者や弁護士も人気らしい。

この先生のクラスでは、何と一位が「教師」なのだという。
よほどこの先生が楽しく毎日を過ごしているのだろう。
子どもが「大人っていいなぁ」と思うことは間違いない。
このクラスからはニートも出ないだろう。
最高のキャリア教育推進である。

ちなみに、我が子に将来の希望を失わせる簡単な方法がある。
(中村文昭氏の言葉である。)
毎日、帰宅したら背広を脱ぎながら「ああ~、今日も疲れたぁ~」と言うことだそうである。
「大人って疲れるんだなぁ」と、絶望させるのに効果的だという。
教室でも同様のことをしていないか、気を付けたい。

世に「先生」と呼ばれる仕事はそう多くはない。
せっかく就いたこの職業で、精一杯生きてみたい。

2013年7月10日水曜日

実るほど頭を垂れる稲穂かな

先日、埼玉で開かれた「あこがれ先生プロジェクト」という学習会に参加してきた。
世の中には素晴らしい実践をしている人がたくさんいるなぁと感心しきりだった。

会の終了後、一人の講師の方とお話をする機会があった。
素晴らしいお話を聴かせていただいたので、お礼が言いたかったのである。
話が終わって最後に握手をした瞬間、講師の方が礼として頭を下げた。
私も当然、頭を下げた。
すると、相手の後頭部が見えた。

見ると、ものすごく頭を下げている。
私の腰ぐらいの高さまで頭を下げている。
まずいと思い、とっさにこちらも頭を深く下げた。
良し、と思って頭を上げたら、まだ相手が頭を下げたままだった。

完全に負けた感じである。
別に礼が深いから偉いという訳ではない。
こちらからすれば、相手の方が明らかに年上で立場も上である。
にも関わらず、相手を尊重したこの態度。
誰に対してでも、きっとそうなのだろう。
心を掴まれた感じがした。
講師紹介の中で、「町中の人が『この先生の言うことなら』と人が集まる」と話していた。
納得である。

以前にもやはり尊敬する方に同じようなことをされたことがある。
偉い人は偉い。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とはよくいったものである。
講演の内容だけでなく、あらゆる面で感動のある会だった。

2013年7月8日月曜日

分数÷分数からの考察

分数÷分数の割り算を教える。

この計算自体は簡単である。
授業でやらなくても、できるようにはなる。
しかし、できることとわかっていることは違う。

どちらが上かというより、次元が違う。
わかるけどできない、という場合もあるし、できるけどわからない、という場合もある。

例えばスマホの操作自体は、2歳児でもできる。
しかし、構造を詳しく説明せよと言われたら、大人でもまずできない。
電化製品などは「できる(使える)けどわからない」の代表格である。
スポーツでも同様である。
「コツは?」「さあ?」という感じ。
本人はできるけど、どうやるかは伝えられないということはよくある。

逆に、わかっているけど本人はできないということも多い。
大学教授などは素晴らしい理論を作るが、やれと言われてもやらない。
(理論を作ることが仕事なのだから、それでいいと思う。やるのは現場の教師だ。)

分数の割り算の場合、計算ができること自体を誉めない。
「こんなのわかってる」「簡単だ」という子どもは多い。
大抵、「ひっくり返してかければいいんでしょ」程度の知識である。
その場合、穏やかに「なぜ」で詰めまくる。
もしもそれで説明できるようなら、初めて大いに誉める。
計算ができることに価値があるのではない。
その原理を知ったり、求める過程を経たり、感動することが大切である。

算数を、無機質なつまらないものにしてしまうのは、その辺りに原因があるように思う。

2013年7月6日土曜日

肝心「要」のお話

前回の続き。

実は、1年ほど前に自分がこの「アーチ橋」で模擬授業をした。
その時、野口先生に割と良い評価していただいたのが
「かなめ石を漢字に直しなさい」からの一連の発問だった。

具体的に紹介する。
「かなめ石を漢字に直しなさい」→要石
「要とは何ですか。」→辞書を引く
「要を部分に持つ漢字を挙げなさい」→腰
「腰という字を用いた慣用句を挙げなさい」
→本腰を入れる、腰が抜ける、腰砕け、他
ここから、人体にとっての要が腰であることに話をつなげた。
今なら、更に「立腰」の話につなげると思う。

因みに、要の上の部分は、人体の中央部に両手を当てた形の象形文字が変形を重ねたものである。
女が付されるのは、腰の発達した女性という意味からである。
つまり、「腰」が意味としては先である。
腰が人体のかなめであることから、かなめの意味になった。
(以上「新漢語林」より)

ここまで授業でやれば、要石の重要性に気付くのではないかと思う。
読み取りを深くするために、発問の一つとして提案したい。

2013年7月5日金曜日

8月31日学級作りセミナー満員御礼

今回は内容により敬体で。

先日紹介した学級作りセミナーが、ちょうど先週に満員御礼となりました。
あれよあれよという間に、知り合いを誘う間もなく満員御礼です。
参加希望のご連絡をくださる方もいますが、申し訳ありません。
キャンセル待ち状態ですので、ご理解ください。
ご期待に添えるようがんばりますので、ご参加の皆様、よろしくお願いいたします。
本当にありがとうございます。

2013年7月4日木曜日

素材研究「アーチ橋の進化」

先日のサークルでの学びをシェアする。

今年度に入り、サークルで国語の素材研究を行っている。
「素材研究」であり、「教材研究」ではない。
教えるためではなく、一読者として深く読む、ということである。

例えば、今回のタイトルをどう読んだだろうか。
恐らく「アーチばしのしんか」と読んだと思う。
4年の教材で長らく使われているが、今までそう読むと思い込んでいた。
しかし、辞書を引くと、「アーチばし」は載っていない。
代わりに「アーチきょう」なら載っている。
どうも、「アーチばし」ではなく「アーチきょう」と読むのが国語的には正しそうである。
(しかしながら、出版社に問い合わせてくれた仲間によると、発達段階に合わせて、あえて前者でよんでいるそうである。)

こんなこと、別に教える必要もない。
必要ないが、真実を知るのは何となく楽しい。
こういうのも、素材研究である。
(前回の「ごんぎつね」の「ごん」の語源と同様である。)

他にも面白いことが分かった。
2010年まで「アーチ橋の仕組み」という題名だった。
これが新教科書で改訂されて、内容も変わった。
不思議である。
大抵、説明文教材などは、どこからか持ってきた作品の抜粋であるイメージが強い。
どうやってタイトルも中身も変えたのか。

実は、この作品は書き下ろしなのである。
わざわざ教科書用に、2011年の教科書改訂に合わせて筆者が書き直したものである。
どうりで、文章そのものが変わっている訳である。
まあ、これも別に子どもに教えるにあたり、使える知識ではない。
ただ、作品を深く知ることにはなる。

ちなみにどうでもいいかもしれないが、「作者」「著者」「筆者」も使い分けが微妙に違う。
作者→創作的内容
著者→ノンフィクションなど
筆者→事実に更に主張のあるもの
こんなのも、素材研究をしてふと気になって調べる楽しさである。

他にも様々あるが、割愛。
素材研究の大切さや方法について、また機会があったら書きたい。

2013年7月2日火曜日

成長曲線と中国の竹の話

メルマガ上でも何度も紹介している成長曲線。
平たく言うと、努力の果実は、実るまでに大変時間がかかり、ある時期を越えると一気に大量に実るということである。
然るべき準備をし、時期がくれば一気に伸びる、という風にも捉えられる。

黒板に図を描く。
横軸が努力量、縦軸が成長量。
最初は横ばいがずっと続きほとんど縦軸方向にはいかない。
しかし、ある点を境に急激に右肩上がりになる。
この点がいわゆる「壁」である。
万物普遍の法則である。

水泳なら、最初の壁は顔を水につけるところ。
次が、5m泳げるところ。
次の壁が高くて、25m泳げるところ。
ここを越えると、100mや200mそして数kmまであっという間である。
今まで大変だったことが嘘のように急激に伸びていく。
そして、はるかに高い位置にある壁にまた当たる。
この繰り返しである。

早起きなら、初日、3日目、1週間、1ヶ月間。
特に1週間までの壁は結構高い。
その後1ヶ月間を越えれば、生活の変化がない限り、毎日楽勝で起きられるようになり、一生の習慣となる。

「努力のつぼ」という話によく例えられる。
つぼに水を注ぐが、外から見ると何の変化もない。
満杯になって、一気に溢れ出た時、初めて見える。
その後は注げばすぐに溢れっぱなしである。
目に見えて、少しの努力が成長に直結するのがわかるようになる。

似たような話を一つ紹介する。
「中国の竹」という話である。
(「7つの習慣 成功には原則があった!」
スティーブン・R・コヴィー著 キングベアー出版 より)
中国の竹の種は、蒔かれてから4年間、小さな芽が出るだけ。
その間、根を張り続ける。
そして5年目に、一気に25mも伸びる。
4年間根を張り続けたのは、この時の為である。

この話のポイントは、もし脆弱な根でそんなに成長したら、倒れて自滅してしまうという点。
見た目が良くて中身がないということの恐ろしさへの教訓も含まれる。
つまり、目に見えない根を張る時期が必要ということである。
結果が今は目に見えなくても、努力は確実に根を張って、成功のチャンスに備えている。

偶然にも「25m」という数値が、特に水泳を教える時にぴったりである。
陸上でも運動会でも普段の勉強でも何にでも使える。
例え話はエピソード記憶として子どもの記憶に残りやすいので、いいのではないかと思う。
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