2012年5月28日月曜日

脱・学級王国

教師の仕事はきついと言われる。
離職率、精神疾患率の高い職業としても有名である。
やりがいがある分、実際きつい仕事である。

私の勤務する県では、新規採用者の離職率がここ10年で6倍に増えているという。
社会が変わり、子どもが変わったのだから仕方無いという面もある。

どこなら止められるのか。
これは、やはり職場の仲間であると思う。

仕事がきついと感じる一番の原因は、人間関係である。
同じ職場に支えてくれる人がいれば、何とかなる。
孤独感が一番のストレスである。

大体、どんなに明るく見える人でも、悩みを抱えているものである。
まして、見るからに落ち込んでいる人は、相当精神的に参っていると考えていい。

もし自分の職場に悩んでいる人がいたら、一声でいいのでかけてあげたい。
自分の学級だけが良ければいいというのであれば、教師としては失格である。
学級王国の王様は、学校にいらない。
教師は「全体の奉仕者」であり、全ての子どもに貢献する義務がある。
自分以外のクラスの子どもも育てる必要がある。
そのクラスを持っている仲間を支える責任がある。

自分が困った時の為にも、悩みを共有できる、明るい職場にしていきたい。

2012年5月26日土曜日

良薬は口に苦し

保護者から意見されることがある。
内容は様々だが、真意は「子どもの為に改善して欲しい」ということである。

「クレーム」という言葉もあるが、こちらはあまり使わない方がよい。
この言葉には「苦情」「文句」という意味があり、マイナスイメージが強い。

いずれにせよ、人に意見するというのはエネルギーが要る。
わざわざ大変な思いをして意見してくれているのだから、きちんと受け取るべきである。
苦言であるが故に素直に受け取りにくいが、そこは「良薬口に苦し」である。
飲んだ方がいい。

中には、ただのうっぷん晴らしの文句としか思えないようなものもある。
相手側に問題があることもないとは言えないので、そこは見極めが必要だろう。
そこを「なぜこんなことを言ってくるのだろう」と思いやれたら、もう達人である。

ただ、一つ心しておくことがある。
それは、意見そのものの内容にとらわれすぎないことである。
たとえば「漢字練習のさせ方が良くない」と意見されたとする。
その時、漢字練習の指導法を振り返ることはもちろん大切である。
しかしそれ以上に、子どもと信頼関係が築けていないのではないかと考える。
子どもとの信頼関係は、そのまま保護者との信頼関係でもある。
教師への不信がベースだと「クレーム」となってやってくる。
信頼関係ができている場合、指導法そのものに不満はあっても、「まあいいか」となることもある。

いずれにせよ、意見は「良薬」ととらえる方が、心と体に良いと思われる。

2012年5月24日木曜日

子どもは教師の鏡

子どもは鏡とよく言われる。
親の前では親の鏡であり、教師の前では教師の鏡である。

もし、学力が低いのならば、学習指導の力が弱いということ。
もし、あいさつが暗いなら、自分のあいさつも暗いということ。
もちろん、担任する前までの指導も関係する。
しかし、1ヶ月以上経っている以上、何か影響を与えているはずである。
事実、この人は、と思える教師が指導すると、子どもは激変する。

うまくいかないと、子どものせいにしたくなる。
しかし、もしそこにおいて日本一の先生が教えたら、
自分の尊敬する○○先生が教えたら、
変わるのではないだろうか。

だから、子どもを馬鹿にしてはいけない。
職員室などで、ついつい指導がうまくいかない子どもをけなしてしまう時。
もし「○○はどうしようもなくて」と言ってしまったら、
残念ながら、これは、自分がどうしようもない教師だと公表しているのと同じである。
これは悔しいが、事実である。

指導がうまくいかない子どもは、神様の使いであると考える。
「あんた、ここができてないよ」と教えてくれている。
謙虚に受け止め、学び直す姿勢が大切である。

2012年5月20日日曜日

学級目標を活用しよう

学校では、様々な「目標」が存在する。
大きくは教育基本法に定められた目標から、学校教育法の目標。
学校教育目標をもとに作られる、教科経営目標、学年経営目標、学級経営目標。
月毎の生活目標や運動会などの行事毎の目標もある。
さらに、最近では目標申告もある。

教師の職は、目標のオンパレードである。
目標無き活動では、得るものもないので、ある程度仕方が無いといえる。

では、子どもは何を意識すべきか。
個人目標を立てる場合、それも大切だろう。
しかし、何より、学級目標を大切にしたい。
クラス全員が一体となって目指す方向だからである。
できれば、毎日のように確認したい。

一つの目標に向かっていれば、チームになる。
野球やサッカーのチームならば、大会での優勝など共通の目標が常にある。
学級は、意識させないと、「烏合の衆」になりがちである。
それぞれが自分勝手に無目的に動き回っていては、船はいつまでも島に辿り着かない。
3月のゴールすべき島はどこなのか、常に意識して向かっていきたい。

4月に一生懸命立てた目標が忘れられ始めるのが、この5月である。
ゴールデンウィークが明け、しばらくたったこの頃に、もう一度目標を見直してみたい。

2012年5月18日金曜日

家庭訪問で遅刻したら

家庭訪問で一番やってはいけないことは何かを考える。
やはり、「遅刻」である。
新採や異動したての人がよくするミスである。
多少の時間の前後は仕方ないが、30分以上遅れるようなら、必ず電話一本が必要だろう。

一人遅れると、次も遅れる。
遅刻の悪循環が起きるので、大抵は途中で空き時間を設定しておく。
それすら埋まってカツカツの状態で回るのが常である。

とにかく、遅刻はいけない。(しかし焦って事故はさらにいけない。)
「前の家庭で時間がかかって」と言い訳をして、その家をすぐ出ていくのもいけない。
「うちの子どもはどうでもいいのか」と受け取られかねない。
「遅れて申し訳ありません。」と正直に謝罪し、長引かないよう次の予定もさりげなく伝えるのがベターである。
(これは、面談でも同様である。)

私の場合、特に遅刻が予想される時間帯や日があるなら、予め連絡帳や学級通信等で伝えてしまう。
どうせ言い訳するなら先の方がよい。
明らかに無理なスケジュールを組まざるを得ない場面も、時にあるからである。

いずれにせよ、ただひいひい言いながら家を回るだけなら、やる意味がない。
わざわざ家まで行くのだから、何をねらいとして見て聞いてくるかが大切である。

最低限のポイントを絞って、短時間でも能率よく行いたい。

2012年5月16日水曜日

連休明けはがんばらない

連休明け。
子どもも疲れているが、大人も疲れている。
休みなのに疲れるというのも変な話だが、休みすぎは一番疲れる。
(睡眠に関して言えば、睡眠不足よりも、休日の寝過ぎが月曜のだるさの原因らしい。)
リズムが崩れるのは一番疲れる。
異動した人も疲れる。
新学期というだけでも疲れる。

だから、5月の連休明けは全員疲れていると思ってよい。
自分だけではないので、安心である。
稀に元気100%な人もいるが、そういう人は特殊なので気にしなくてよい。

精神科医の斎藤茂太氏の著書の中に、「元気過ぎる人からは元気はもらえない」というような言葉があった。
落ち込んでいる時や元気の出ない時は、一緒に落ち込んだりしてくれる人が元気をくれるらしい。

教師は前向きで明るい人格が望ましいが、いつでもポジティブ前向きだと、逆にお互い疲れる。

連休明けは、新学期と違って、ちょっとゆるめにスタートする。
ぼちぼち頑張ってこうというぐらいが、お互いにとってちょうどいいように思う。

2012年5月14日月曜日

言語環境を整える

先日、外にでかけた時に、ある親子連れ(夫婦と子どもの3人)がいた。
父「これ、スゲ-なぁ!」
母「マジすげぇ!」
子「・・・」

子どもは何も言っていなかったが、この家族の言語環境は推して測るべし。
こういう家庭の子どもも、そうでない子どもも、一緒くたに預かるのが学校である。

せめて、教室の言語環境は整えたい。
一番は、教師の言葉遣いである。

一部の方には男女差別だと言われそうだが、「男言葉」と「女言葉」は現実に存在する。
例えば「おいしい」という言葉は、「うまい」を女性用に変化させた言葉である。
本来、「おいしい」を男性が用いるのはおかしく、逆に「うまい」を女性が用いるのも不作法である。
時代の流れで、現在では問題ないが、こういう言葉も結構ある。

現代において、女性が「すげえ」というのはそんなに問題ないのかもしれない。
しかし、やはり子どもを持つ母親がそれでは、と、問題意識を持つことも大切であるように思う。
まして、教師たるや、である。

使う状況にもよると思うのだが、教師の言葉遣いも、結構見直した方が良いことが多いようである。
国語の大家である野口芳宏氏も「言葉遣いは心遣い」と繰り返し述べている。
「人の振り見て我が振り直せ」
人の言葉遣いを批判する際には、自分自身をも批判する必要がある。

2012年5月7日月曜日

自己肯定感を高める

4月末から5月にかけて、子ども同士のトラブルが頻発する。
新しい学級に慣れてきたこと、何となく疲れてくることなど理由は様々である。

この手のトラブルにすばやく対処することは大切である。
しかし、それ以前に予防に手を打ちたい。

ほとんどのトラブルの根源は、自己肯定感の低さである。
いじめ、ケンカ、盗みのような正真正銘の「トラブル」。
掃除さぼり、廊下を走るといったような、日常的な問題。
どんな問題も、大抵ここに帰着する。

自分を大切にしている人は、他人も大切にする。
いじめやケンカはしない。

自分を大切にしている人は、自分を高める行為をする。
身の回りをきれいにしたくなるし、正しく生活したくなる。
まして物を盗ろうなどとは思わない。

そして、指導したところで、いきなり良くはならない。
「もうやりません」と心から反省しても、9割はまたやると思って良い。
それをしつこくしつこく繰り返し、根気よく1割ずつ改善していくしかない。
同じことを10回指導してやっと良くなったら、かなり順調な改善である。

目の前の問題に振り回されず、根本的な解決を目指したい。

2012年5月5日土曜日

授業参観の心得

授業参観をどうするか、悩む人が多いと思う。
授業参観はどうあるべきか、再度示す。

一つめは、全員が発表すること。
保護者は、自分の子どもを第一に見にきている。
やはり、我が子が発言したかどうかは大きい。
全員が一つでも何かしら発表できる場面があれば、とりあえず合格点である。

二つめは、大人も楽しめる内容であること。
参観している親も真剣に考えるようなものが欲しい。
大人も子どもも楽しめる、ちょっとした難問を一つ用意できれば、それだけで盛り上がる。
家庭での夕飯時に話題に上がるようなら最高である。

三つめは、学力の向上が見られるもの。
ここまでの短い期間でも、力がついているとわかれば、安心する。

具体的にはどんなものがあるのか。
私はよく、百人一首の様子や詩文の暗誦、漢字の学習等を行う。
(ちなみに今年度はこれでいく。)

他にも掲示物やら言葉遣いやら色々あるが割愛。
要は、「今年の担任の先生は大丈夫だわ」と信頼されることが第一の目的である。

ベテランの先生の方がネタを持っていることが多い。
(無論、若手でも持っている人は持っている。)
悩んだら、校内の頼れる先生に相談することである。
あっと驚く解決の手口が見つかるものである。

2012年5月3日木曜日

読み聞かせのススメ

最近、朝の読み聞かせをやっている。
絵本である。
机を下げ、全員を前に集めて座らせる。
座る位置は自由だが、聴く姿勢を持つことだけが条件である。
(よって壁によりかかるのは不可。)

自分の好きな絵本を5分程度読む。
長いものは、2回に分けて読んでいる。

初任の頃から結構ちょいちょいやっていたことなのだが、今年度は初日から続けている。
朝学習の時間が設定されているから、余裕があるのも理由の一つである。

これをやると何が良いのか。

まず、話を聴く姿勢ができる。
基本的に楽しい本ばかりなので、真剣に話を聴く。
この時ばかりは、やんちゃ坊主も静かである。

しんみりするものがあれば、ものによっては、笑いが起きるものもある。
朝から落ち着いた雰囲気や、または笑顔で始められる。

そして、遅刻が減る(らしい)。
朝の読み聞かせを楽しみに来る子どももいるそうな。
(何かの本で読んだことがある。)

その時々に伝えたい、道徳的な価値も伝えられる。

個人的に好きな本をいくつか。
「百万回生きたねこ」(卒業前などに読むことが多い。)
「3匹のかわいいおおかみ」(とにかく笑える。面白い。パロディを教えるのにも使う。)
「泣いたあかおに」(これは当然、節分周辺に読む。友情の他、差別や偏見の学習にもなる。)
「おじさんのかさ」(やはり梅雨時に。能力を出し惜しむなというメッセージにも。)
「もこもこもこ」(意味不明な面白さ。とにかく楽しくなりたい時に。)
「だめよ、デイビッド!」(やんちゃ坊主を指導した翌日にでも。先日紹介した岩瀬先生のオススメ。)

本当は、絵本以外の読み聞かせもいいのだろうが、個人的に絵本が好きである。
(これは、完全に個人の好みである。)

学級経営のツールの一つとして、絵本の読み聞かせは有効であると考える。

2012年5月1日火曜日

やらせればできる

子どもが自主的に動けないと嘆く。
できないから、お膳立てしてあげる。
とかく、教師は丁寧&真面目でサービス精神旺盛なので、こと細かに準備する。

児童集会では司会の台詞まで用意して、子どもはそれに従えば大丈夫な状態にしておく。
部活動での準備を全て教師が行い、子どもは用意された場で活動を始める。
授業では失敗しないようにレールを引いておき、そこに誘導していく。

こういう活動を繰り返していけば、子どもはどんどん「お子様」になっていく。
自分がやらなくても、教師がやってくれる。
教師とは、自分の為に奉仕する存在であるかのごとく、間違った認識を持つ子どももでる。
ひどいと、教師と児童・生徒という上下関係すらも「平等」などと言い出す。

こういう「お子様」を育ててはならない。
その子ども自身も、不幸である。
どうしてこうなってしまうのか。

根源は、子どもに対する「信頼不足」でないかと思う。
「ここまではできない」「これは無理」という考えが、無用な先回りを生み出す。

例えば、「幼児は難しい漢字を覚えられない」と考える。
しかし、実際は平仮名より意味のある漢字の方が子どもにとっては容易であったりする。
だから、幼児向けの漢字カードのような商品もある。
「まだはやい」「できない」というのは、全て大人の側の思い込みであり、子どもはかなり色々なことができる。

子どもを信頼して、できることはどんどん任せるようにしたい。
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