2023年8月27日日曜日

夏休みの研修をどう生かすか

 夏は研修やセミナーが盛んである。

多業種、各方面で開催されるが、特に教員関係のものは多い。

夏休みに子どもがいない間は、主に研修期間という位置付けだからである。


これは、教員にとっての夏休みの楽しみ方の一つともいえる。

社会科の大家、元筑波大附属小教諭の有田和正先生は、旅行も兼ねてネタ集めに奔走していたという。

数々の素晴らしい授業実践群は、これら休日を含めた日々の研鑽の賜物である。

やり方次第で、旅行すら立派に研修になりうる。


そんな中、セミナーは傍目にもわかりやすい研修の機会である。

わざわざ休日に身銭を切って時間を使ってまで学ぼうというのはコストが高く、並々ならぬモチベーションである。

特に遠方まで行ってお金を払って学ぶような人は、少なくとも「普通」ではない。


コストをかける分、期待が高まる。

時に、相手が、自分の望む答えをもっているように感じてしまう。

悩んでいるほど「どうやるのが正解か」と他者にききたくなる。


ただこの姿勢だと、なかなかうまくいかない。

うまくいかなくても、変われなくても、相手次第だからである。

実は、どんな研修やセミナーであっても、学び手次第というところがかなりある。

この夏の新刊『学級経営がラクになる! 聞き上手なクラスのつくり方』にも書いたが、受け取る主体は常に「聞き手」にあるからである。


特に「有名講師」と言われる人に学ぶ時は、消化の仕方が肝である。

相手の実績があるだけに、それを真似すればうまくいく気がしてしまう。


実際、やってみるとわかるが、そううまくはいかない。

「変わるぞ!」と熱く燃えて決意したにも関わらず、続かない。

それは、そもそも相手と自分のもつストーリー、文脈が違うからである。


物語に例えると

「普通の暮らしをしていた若者がひょんなことから事件に巻き込まれ、苦労の果てに成功する」

というタイプのストーリーと、

「生まれながらの王族が、内政の困難に立ち向かいながら更なる成功を手にしていく」

というストーリー。

両者の成功譚は全く別物である。

主人公のもつ、そもそものベースも環境も全く違うからである。


様々な地へ行くとわかるが、学校の抱える課題も地域で全く違う。

先日の調査結果を受けて「学力向上」が主な課題になっている地域がある。

一方で、所変われば、「貧困」が問題になっている地域もあれば、「同和問題」が筆頭に来ている地域もある。

私学と公立でも違う。

どこでも同じ手法が同じように通用する土台がないのである。


その研修やセミナーから学んだことを、自分なりにどう解釈して用いるかが全てである。

正解は自分で作る。

学んだ内容とは全く逆の正解を作ることもあり得る。


「この道でみんな成功してますよ」

という話を聞いて、

「それならもうこの道を行っても自分にはチャンスがないから、これ以外を行こう」

と考えるのも自分次第である。


いずれにしろ、経験は意図的に積み、そこに整理を加えないといけない。

これは、師の野口芳宏先生が事あるごとに口にされている教訓である。


せっかくこの夏に学んだ内容、自分なりに主体的に活用していきたい。

2023年8月19日土曜日

発信者には先行実践の調査と明示が必須

 私が長らく、学級経営において大切にしている大原則がある。


真面目な人に損をさせない。

一生懸命がんばる上位2割にこそ注目する。


これらの考えが結構広まってきたようである。

見ると、私以外の誰かも

「真面目な子に損をさせないことが大切です」

と断言して書いている様子を見受ける。


さて、これらのことを書いたり発信する時には、ルールがある。

それは「引用元の明示」である。

論文、書籍、メルマガ、SNS、媒体を問わず「引用元の明示」は、発信の大原則である。


「それは元々誰の話なのか」をはっきりさせるのが、文章を書く上での大原則のルールである。

「自分が思いついた」と思った場合でも、関係する文献、あるいはせめてネットで先行実践を調べてから発信するのが最低限度のモラルである。

そう思ったほとんどの場合、以前に自分が見聞きした文章の記憶からの着想(あるいはそのまま)だからである。


これは自戒の念も込めており、私自身の文章にも当てはまることである。


例えば、『不親切教師のススメ』は新しいことを書いているように思える。

自分でも、色々と考えて書いたつもりである。

しかし実際には、かなり様々な人々の思想に影響を受けている。

思い出せるものはなるべく調べて明記したつもりであった。

しかし、それでも甘いのである。


例えば、この本の参考文献に載せるべきだったと後悔している本がある。

『不親切教師のススメ』と同じく、さくら社刊行の、次の本である。


学級づくりの教科書』有田和正著 さくら社


この本の「教育的良心が足りない」?という項p.154に次のように書かれている。

==========================

(引用開始)

手とり足とりの指導が、子どもにとってよいのであろうか。

わたしは、子どものために尽くすということは、手とり足とりの指導ではなく、ひと言少ないことや、一手少ない指導だと考えている。子ども一人ひとりを主体的に育てることが教育の目的なら、指導過剰はマイナス効果である。

(中略 )

子どもが困っていると、すぐ手を出したくなる。そこをがまんすることが、本当に子どものためになるのである。

(引用終了)

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本に力強く「花丸」の書き込みまで付けてある。

『不親切教師のススメ』は、ここから相当に影響を受けていると考えて間違いない。


2011.8.25発刊で、発売直後に初版を購入してまず一気に最後まで読んだ記憶がある。

表層からは内容についての細かな記憶は薄れていたが、深層で完全に覚えていたようである。

有田実践については『不親切教師のススメ』にも宿題の項でふれたが、今思えば主要な参考文献としてこの本を載せるべきだった。

もう間に合わないため、せめてここの場に明記し、次回作では明言しようと思う。


ちなみに冒頭に挙げた「上位2割に注目」は、イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートの「パレートの法則」からの気付きである。

セットで「下位2割に引っ張られない」という点もここから着想し、提案している。

学級崩壊とは、下位2割が言うことを聞かない状態ではなく、上位2割にそっぽを向かれた状態を指すからである。


この「学級崩壊とは・・・」という考え方のベースは、TOSS代表の向山洋一氏のものである。

また「下位に注目しない」というのは、特別支援教育で用いられる「意図的無視」という配慮からきている。

そしてのその考えのベースは、心理学におけるオペラント条件付けの「負の強化」というものからである。


つまり、どれもこれも私の完全オリジナルな訳ではない。

他の研究や実践から着想を思い切り得ている。

その学びを消化した上で、実践を通して実感したものを言語化しただけである。

私の「真面目な人に損をさせない」という学級経営の大原則も、この「上位2割」の概念から派生した考えである。


そう考えると、「自分の完全オリジナルな考え」などというものは、ほとんど存在しないのかもしれないとも思う。

師の野口芳宏先生もそのように仰っていた。

全ての原理原則は、孔子やキリスト、釈迦あたりに言い尽くされており、先人がどこかしらで主張しているものばかりである。


だからこそ、発信者はそこに対し、謙虚になる必要がある。

誰でも何でも発信できる現代にこそ、個々の情報モラルや情報リテラシーが重要になる。

自分の考えはどれで、引用・参考文献はどれなのか、明示する必要がある。

(ちなみに引用と参考は全く違う。引用は元のそのまま、参考はあくまで参考である。

これも、初任の頃に向山洋一氏の書籍から学んだことである。)


情報を得る場合も、それがどこの誰なのか、名前や立場を明示して発信しているのかどうかが最も大切である。

当たり前だが、世に知られた人が立場をもってする発信は、そうでない人に比べて、断然責任が重い。

政治家や有名人が批判されるのは、そういう意味で避けられない必然である。


そして批判一つとっても、批判者側が名前や立場を明示してこそ責任と価値が伴うのである。

匿名の無責任な文章には、宙を漂うような重さしかないのである。


情報を得る側も、そういう視点で見ないと、色々と見誤り、誤ったものが世に広まる。

ニュースに悪い情報の方が多く飛び交うのは、それを無意識に歓迎する読者が多くいるからこそである。


SNS上や書籍上の有象無象の教育情報に、気になるものが増えてきたので、記しておいた。

もしも私の文章に対しても、考えに共感して広めたいという有難い意向がある方は、引用元を明示するか、ご一報を頂ければ幸いである。

2023年8月12日土曜日

音読が大切

今更ながらだが、音読の大切さについて。


最近、サークルでも校内研修でも話題になったのが、音読の重要性である。

特に国語を専門とする先生から、その重要性について、以下に書くように強調された。


そもそも、人間の言語獲得のプロセスは音声を聞き、それを口に出すことからである。

いきなり書き文字から入る訳ではない。

言語獲得のプロセスにおいて、音声言語が文字言語に優先するのである。


音読をすると、理解度がはっきりとわかる。

国語で教科書の文章をすらすら読めるような力を育てることが、他教科へ波及する。


例えば、算数の問題が解けない子どもに問題文を声に出して読ませようとすると、それ自体が読めない。


「読めない」の内訳は様々である。

・漢字が読めない

・その言葉自体を知らなくて読めない

・記号が読めない


特に、漢字が少なく平仮名交じりの文の多い低学年では、その言葉自体がわからないことが多い。

(低学年の教科書の混ぜ書き文章は、大人からしても読みにくい。)


またグラフなど「読み取る」という作業が入ることも多く、ここも音読させると理解度がわかる。


2年生の「時刻と時間」の学習などは最もわかりやすい。

時計を見て「9時」と読むところを「12時」と平気で読むなんてざらである。

短針が「〇時」→長針が「〇分」の順に読むこともわかっていないから、読みようがない。

時刻自体が読めないのだから、時間を問う問題ができなくて当然である。


そして「読めない」状態のままテストになれば、当然問題文が自力で読めない。

何を問われているかわからないのだから、解けなくて当然である。

つまり、内容への理解度どうこう以前の問題が存在しているのである。


普段から自力で問題文を読むという習慣が必要なのである。

授業中も、声に出して問題文を読ませる必然性がそこにある。


5年前、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井 紀子著 東洋経済新報社)という本が話題になった。

タイトルを見て「そんな大袈裟な」「そういう子どもも中にはいる」ぐらいに思った人が多くいたと思うが、これは事実である。

調査をするとわかるが、かなりの割合の子どもが、きちんと教科書を読めない。

そして、その状態でそのまま大人になっているのである。


これは学校側としてはお便り一つ配るにも「本当に読めるかどうか」という視点が必要ということである。

問い合わせに対し「お便りに書いた」というのはこちらの言い分としては正しい。

しかしながら、あの大量の文字情報から本当に必要な情報を読み取るということを誰しもできるか、自問する必要がある。

(むしろ、発行している自分たちですら読むのが大変なのではないだろうか。

例えばどの学校であっても、新入生の保護者向けの説明資料などは、文字地獄である。)


話を戻すと、小学校、特に低学年段階において、音読の重要性は強調しすぎることはない。

高学年でも重要であるが、それも低学年での基礎固めがあった上で成り立つものである。


大人同士の読書会でも、音読を行う。

上手な人によって全力で読まれる文章の音声を聞くのは、耳にも大変心地良いものである。

自分自身の音読の向上にもつながる。

即ち、それが子どもの音読の向上にもつながる。


音読向上につながる実践は、数多くある。


例えば長らく「詩文の暗唱」の実践をしていた。

しかしコロナの影響で近距離で音読を聞くことができず、最近めっきりやめてしまっていた。

こちらも、再開する方向である。

確実に語彙力とリズム感が身に付き、子どもの学力向上につながる。

(先日講師として訪問させていただいた都内の学校では、校長先生が全校児童の詩文暗唱を聞いて認定していた。

素晴らしい取り組みであると思う。)


AI全盛の時代になろうと、この点は変わらない。

言語能力の獲得は必須である。

文字情報を読めないのでは、情報獲得の量に圧倒的な差がつくのは必然だからである。


今、新しい様々な取り組みがどんどん生まれている。

しかしながら、温故知新の言葉の通り、古くから残ってきたものには価値がある。

しばらく、感染症対策によって歌や音読が禁止されてきたが、その束縛もこの5月で完全に終わりである。

音読の重要性が、今こそ見直されるべきではないかと考える次第である。

2023年8月5日土曜日

夏休みの宿題とChat gpt

 夏休みの読書感想文等宿題に関して、文科省よりChat gpt使用についての見解が出された。

それ以前に、Chat gptは13歳以下だとそもそも使用できず、18歳未満には保護者の許可が必要というルールがある。

以前にも書いた通りで、人間は「ダメ」と言ったら止めるものでもないというのが現実である。

メルカリ等に夏休みの宿題代行業者が氾濫して大儲けした現状を見れば明らかである。


さて、この活用は読書感想文コンクールに限らない。

例えば、夏休みの自由研究にも利用できる。

大人の権限でちょっとChat gptに命令して、ものの数分でアウトラインを出してもらった。

以下、Chat gptの出してくれたアイデアである。


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タイトル:浮力の不思議

はじめに

浮力の不思議についてみんなに紹介します。みんなが水に入ると浮くこと、それは浮力という不思議な力が働いているんだよ!この研究では、浮力の仕組みを楽しく学んでみよう!


浮力とは

浮力って何だろう?実験を通じて浮力の不思議な力を見つけ出そう!水に入る物体がどうして浮くのか、どうして沈むのかを調べてみよう。アーキメデスの原理という言葉も覚えようね。


実験1:異なる物体の浮力を比較

いろんな物体を水に浮かべてみよう!例えば、おもちゃや果物、コインなど。それぞれの物体が水に浮く理由を考えながら、不思議な現象を観察しよう。もしかしたら、大きさや形が浮力に影響を与えるかもしれないね!


実験2:浮力と重力のバランス

水に浮かべた物体には浮力が働いているけれど、重力という力もあるんだ。水に浮かべた物体の重さを計って、浮力と重力のバランスを確かめてみよう。ちょっと難しそうだけど、一緒に考えよう!


実験3:船の浮力の原理

船は大きな物体だけれど、なぜ浮くのかな?紙船やアルミホイル船を作って、水に浮かべてみよう。どんな形の船が一番浮きやすいかな?不思議な船の浮力の原理を見つけよう!


実験4:浮力を利用した物体の設計

浮力って素晴らしい力だね!実験を通じて浮力を利用した物体や構造物の設計を考えてみよう。例えば、浮き輪や船、水中のおもちゃなどを自分で考えて作ってみよう!どんな物体が浮力を最大限に使えるかな?


結果と考察

実験の結果をまとめよう!浮力の不思議な力を見つけたり、物体の形や大きさが浮力に与える影響を考えたりしたね。浮力の大切さや日常生活での活用方法についても考えてみよう。


まとめ

浮力の不思議を調べて、たくさん学びましたね!水に浮く現象や物体の設計など、楽しいことがたくさんありました。浮力の力って、みんなの生活にも意外と関係しているんだよ!これからも科学の不思議を追求していこうね!


参考文献

浮力に関する本やウェブサイトのリストを紹介します。これらの情報源からもっと面白いことを学びましょう!


付録

実験の写真や図、興味深い発見のメモなどをまとめた付録を用意しました。楽しい研究の記録を残しましょう!

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何をしたらいいかわからない子どもにとって、これはかなり助けになる。

(そもそもインターネットサイトの存在自体が、相当な手助けになるが。)

このアウトラインに従って実際に実験してみれば、面白そうである。


またそれぞれの項目について「書いて」と言えばここもある程度までは書いてくれる。

子どもが使用禁止だとしても、夏休みの自由研究は実質親の宿題という面もある。

どうしていいかわからない親が手助けのために使うことは十分に有り得る。


明確に「不正」と明言されている点については、使用できない。

しかし時に、設定されたルールの側がおかしいということも考えるべき点である。

ルール設定者(権力者)の都合や好みという面がないかは、常に疑うべきところである。


スポーツの世界はこれが顕著である。

オリンピックの歴史でも、日本が活躍して金メダルをとるとルールが変わるということは度々起きている。

(オリンピックはもはや爽やかなスポーツの祭典とは言い難い、醜悪な面が方々に見えてしまい、残念なことである。)

工夫した側の努力を否定するように、あっさりとルール変更がなされる。


Chat gptをフル活用できるリテラシーのある教員や大人はどれぐらいいるのだろうか。

実際、子どもの方はどうなのだろうか。

良い道具がある時にそれを活用する能力は、旧い制度を守るより大切である。


学校は、新しいものを活用する姿勢が必要である。

そのためには、古いものを捨てる必要がある。

旧態依然とした学び方やその学習内容を抱えたままでは、それができない。


学習指導要領がある以上、内容についての変更はできないが、工夫はできる。

昭和の時代から変わらないのではなく、今の時代に合った形の夏休みの宿題というものを考えてもよいはずである。


自由研究等そのものを否定している訳ではない。

本当に「研究」して大発見をしてしまうすごい子どもたちが存在することも認めている。

だからこそ、課題へ取り組むかどうかも個人の選択にして、使える道具はフル活用していいのではないかということである。


学校教育の実際は、基本的に保守である。

そして「新しいものは怖い」という感覚は「古いものをそのままにしたい」という感情と裏表である。

(ただ一番悪いのは、古いものを抱えたまま新しいものをどんどん取り入れることである。

 それでは、クローゼットがパンパンになって、着られる服もダメになる。

 新しく買うなら古いものを捨てるのが鉄則である。)


せっかく手助けしてくれるものは使った方がよい。

また新しい時代の価値観の流れは、拒否するだけ無駄である。

それを取り入れていくしかない。

だから、古いものを捨てるしかない。


この令和の新時代に、昭和時代の夏休みの宿題が「そのまま」残っていることの方がおかしい。

生成AIを読書感想文に使うなどうこう以前に、学校の在り方のおかしさの方が気になって仕方ない昨今である。

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