2015年5月29日金曜日

「弘法筆を選ばず」のはずだが

弘法筆を選ばず。
広辞苑によると
「本当の名人は道具のよしあしにかかわらず立派な仕事をする。」
という意味のこと。

そこで、以前同僚で書道の得意な先生がいたので聞いてみた。
「選びませんか」と。
すると「そんな訳ないでしょう」と返ってきた。
「道具は超重要」とのこと。
さらに「先の割れた筆でまともに書ける訳がないでしょう。」と。
まあ、当たり前である。
良い道具の方が良いに決まっている。
前号の、元々能力の高い人であっても、強い装備の方がより強いという話と同じである。
道具は大切である。

ところで、4年生の算数で使う道具といえば、分度器である。
いわずと知れた角度を測る道具である。
この分度器、ものによって使いやすさが大分違う。
当たり前だが、分度器は普通透明である。
そこに、線が何本入るか、数字がどうかかれているかが大切になる。
線が多いほど、読む時には細かい角度まで対応しやすいが、あまり細かいと見にくい面もある。
そしてこれも当たり前だが、キャラクターなど余計なものが入っていると邪魔である。
(一般に、分度器ではほとんど見当たらない。)
とにかく、中心をきちんと合わせやすくて、数値が読みやすいものに限る。

ここで、注意してみると、算数が苦手になる子どもほど、妙な道具を使っていることが多い。
例えば定規なら透明のものを使わずに、キャラクターの絵がばっちり入っていたりする。
筆箱の中身も、相当余計なもので埋まっている。
よく観察してみると、下敷きに描かれた大好きな漫画の絵をぼーっと眺めている子どももいる。
(ただここで注意すべきは、そういう道具を使っても何ら問題ない子どももいる点である。
 そこで集中を欠いてしまう子どもが、そういう道具を使ってしまっている点をどうにかしたい。)

別の教科でいえば、例えば体育で注意するのは、縄跳び運動に使う「とびなわ」である。
例えば1年生などで前回しの初期の練習段階なら、太くて重いひもタイプのロープがいい。
柄は短くて力がダイレクトに伝わるものがよい。
一方で、二重跳びをするのであれば、細くて軽いビニールタイプのものの方が素早く回せる。
柄も長めの方が回しやすい。
自転車のギアと同じ原理である。
柄が長いと力がいる分、手元の小さな一回転を大きな回転に変換できる。
(その極端なものの例が、長さ数十mの大縄である。)
そして、縄の適正な長さも前回しか二重跳びか、はたまた交差跳び系かで変わってくる。

まだまだあるが、これらの例に挙げたように、レベルにもよるが、合った道具を使うことは上達に非常に大切である。
上達が遅い場合、道具の問題はないかという視点も持って指導に当たりたい。

2015年5月27日水曜日

装備を強くする

ゲームを例に、学級経営の話。
授業参観等にも関連するので、くだらないと一蹴せずにご一読いただきたい。

私は「ドラクエ世代」である。
相当燃えた。
多分、同年齢の中でも、当時相当やりこんだ方ではないかと思う。
(大学生からは、さっぱりやらない。
 嫌いになった訳ではなく、時間が惜しいからである。
 普通以上にハマり症なのである。)
今は妖怪の出るゲームが小学生に一番人気のようである。
いわゆる「RPG」というジャンルである。
ドラクエ時代から変わらぬ、敵を倒して経験値を積んでレベルアップ、というやつである。

ところで、件の「ドラクエ」というゲームでは、「転職」するとレベルが1に戻る。
そうすると、当然ステータスはかなり弱くなる。
そこでどうするかというと、そこまでに手に入れた強力な武器を装備させる。
ステータスの「ちから」が15しかなくても「伝説の剣」みたいなものを装備させると、攻撃力が「200」とかになったりする。
つまり、レベルが低くても、装備でカバーできるということである。
(もちろん、レベルが上がって「ちから」が200になれば、攻撃力は400ぐらいになり、より強い。)

学級経営や授業でもこれに似たことを起こせる。
要は「良い教材」を使うのである。
先日のセミナーではその一例として絵本を紹介した。
良い絵本は、教師の指導力レベルに関係なく、読むだけで子どもを変える力がある。
(もちろん、先の例のように、読み方が上手い方が伝わる効果が高まる面はある。)

例えば私は、先日の学習参観で、いつも使っている次の算数ソフトを使った。
https://store.sakura-sha.jp/
私の尊敬する横山験也先生の開発したソフトである。
私自身は何の苦労もせずに月額の三百円程度を支払うだけだが、効果は絶大である。
もしかすると「コンピューターを使いこなす先生」みたいな誤った解釈をしていただける。
誤解ではあるが、わかりやすく子どもに力がつくのは事実である。
作ったのは横山先生だが、使っているのは私自身。
つまり、子どもから見えるのは、使っている私だけである。
「松尾先生はパソコンで算数の授業ができる」と。
若干、いや、かなり間違っているが、そういう認識である。

「ネタ」というのは、そういう効果がある。
奈良の土作彰先生などは、ネタの重要性をかなり強調している。
例えば目の前でいきなりマシュマロが巨大化したら、何はなくともやはりインパクトがある。
特に若手の先生にとっては、良いネタは強力な武器になり得る。
(逆に、経験を積むに従って、ネタに頼らずとも自由にやれるようになる。)

力をつける過程で、まずは「ネタ」という装備に頼ってみる。
それも、子どもと教師両者にとって、良い選択になると思う。

2015年5月25日月曜日

登下校時の姿の重要性~日常が全て~

子どもを健やかに育てるために、保護者、地域との連携が重要だという。
連携するには,相手側も協力したくなることが大切である。
ところで、地域の方々の学校への評価はどう決まるのか。

学校への評価というのは、そのまま子どもの姿への評価である。
地域の方々に見える子どもの姿とは何か。

確かな学力か。
豊かな心か。
学級での生活態度か。
授業参観や学校公開でのすばらしい姿か。

残念ながら、これらのことは地域の方々にはほぼ全く見えない。
では、何が見えるのかというと、登下校時の姿である。
登下校時の子どもの姿が、そのまま学校への評価に直結する。
「一事が万事」ということで、この一点で全体像をほぼ評価されることになる。
(修学旅行先で出会う子どもの評価が、その学校の評価になることとほぼ同じである。)

登下校時にマナーの良さや礼儀正しさが見える子どもたちなら「良い学校」と見なされる。
逆に、道路に広がって歩く、信号無視をするなど交通ルールが守れず、地域の方々に迷惑をかける行為が目立つと、その分マイナスの評価をくらうこととなる。

「それならば」ということで、直接登下校指導をするが、これは期待するような効果が出ない。
(問題行動への一時的な抑止力にはつながる。)
結局、特定の大人(教師や親)に見られているかどうかが抑止力の原因になっているためである。

では、これらの姿に対し根本的にどう着手するのかというと、普段の生活である。
「日常が全て」。
要は、廊下でのルールが守られないなら、外での交通ルールも守られない。
あいさつや態度も、学校内のそれが如実に表出する。
担任が見ている時と見られていない時の行動ギャップが小さいほどいい。

例えば掃除なら「叱られたくない」「褒められたい」という動機でやっているレベルではダメ。
その状態だと掃除が「先生が来た時だけきちんとやる」という嘘をつくための訓練になっている。
「掃除は自分がやるべきことだから、きちんとやる。」という考えならとりあえず大丈夫。
「見られていようがいまいが、ばっちりやりたい。評価されるかは関係ない。」というレベルなら完璧。
そういうごく小さい局面での行動がいくつも積み重なったものが、外への行動に反映すると思われる。

地域との連携を取るためにも、協力したくなるような子どもの姿を見せられるように指導したい。
それには、日常の指導が全てである。

2015年5月24日日曜日

子どもの心に必ず届く言葉がけの極意

前号で、万人共通の絶対の方法は無いという話を書いた。
ところで、気になるタイトルの書籍がある。

『スペシャリスト直伝! 子どもの心に必ず届く言葉がけの極意』
西村健吾著 明治図書
http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-135428-2
http://www.amazon.co.jp/dp/4181354288

子どもの心に必ず届くとは、大きく出たタイトルである。
著者は本ブログでも何度も登場している西村健吾先生。
水泳指導や組立体操をはじめ、体育を中心としたハイレベルな実践を展開している方である。
その実践の秘密の一端を知れるかもしれない。
期待して読んでみた。

一言で表すと、「リアル金八」。
語りが暑苦しいぐらいに熱い。
しかも、実績に裏付けられた本物の語り。
ご本人を知っているだけに、納得の内容。
子どもの心に届いているだろうと推察される。

この本の最大の特徴は、必殺フレーズの紹介だけでなく、その裏付けとなる教育観がきちんと書かれている点である。
むしろ、そちらにかなりの紙幅を割いている。

私の特にお気に入りのフレーズは、最後にあるこの二つ。
「苦しい時ほどノーブレス」
「自分に勝つ」

水泳指導に力を入れてきた、西村実践の極意がこの言葉に凝縮されていると思う。
苦しい時、何よりも呼吸をしたい時、その時こそ、ノーブレス。
他人ではない、自分に勝つと決めて腹を括る時にこそ出る底力。
人間には、つい楽をしたくなる弱い心がある。
そんな心に、打ち勝つための金言である。

子どもの心に必ず届くかは受け取り手次第だが、相当私の心に届いた。
読者の皆様にもおすすめできる一冊である。

2015年5月21日木曜日

長期的視点を持って指導する

「こういう時にどう指導すればいいんですか」と質問される。
一応のアドバイスはできるが、必ず「自分の場合は」ということを強調して話す。
「一応」というのは、本当にそれでうまくいくかの保証がないからである。
実際に見ていない教室の子どもへの対応アドバイスは、本当に難しい。
真逆の方法がいいこともあるからである。
ただ一つ言えることは、「長期的視点を持って指導する」という点である。

例えば「友達への言葉遣いが悪い」という時に、直ちに正すか、見守るか。
これは、相手に応じて、長期的視点を持って対応を変える。
短期的には我慢が必要なことでも、長期的に見た時に効果がある方の手段をとる。

言われている相手の子どもが「その言葉は嫌」と言えそうか。
言えそうな子どもなら、それを見守るか、きちんと嫌だと伝えるよう相手側にアドバイスする。
言っている側の子どもにとっても、第3者の教師の言葉より響くので、両者の成長にとって長期的に見て上策となる。

また、言っている側が放っておいても気付きそうな子どもなら、放っておくこともある。
人に言われるより自分で気付く方が上策である。

あるいは、言い返せなさそうな子どもが一方的にやられている様子なら、「それは傷つく言葉だよ」と直接指導することも有り得る。
放っておくと本人が気付かなそうであれば、指導するのが長期的視点で上策である。

つまり、様々な方法論はあるが、「この場合は絶対これ!」というのは無いというのが嘘偽りのない本音である。
(ただし、あくまで常套手段と禁じ手はある。)
教師と子どもは「人間対人間」。
生身の人間同士の本気のぶつかり合いである。
もしこれが機械相手で決まった反応があるなら、どんなに楽で、味気ないことか。
いつでも、動き続ける局面での真剣勝負。
だからこそ、多くの方法を知っておくほど、対応の幅が広がり、後で良かったと思える場合が増える。
だから、常に学び続ける必要がある。

いつでも、その指導がどんな結果をもたらしそうか、長期的視点を持って指導にあたりたい。

2015年5月19日火曜日

算数の授業内容に価値を持たせる

授業の内容に価値を持たせるということについて。
毎日あって、「何のためにやるのか」の話題になりやすい算数科に絞って考えてみる。

算数は、指導の結果がかなり顕著に出る。
「何のためにやるのか」の具体的な指導の手立てが欲しい教科の一つである。

次の本を紹介する。

『クラス全員100点をめざす!算数授業アイデア事典」
藤本 浩行 著 明治図書
http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-171033-0

この「クラス全員100点をめざす!」の部分だけを考えてはいけない。
あくまでこれはこの本の「目標」であり、「目的」ではない。
「目的」は「算数大好き!の子どもを増やしていきたい。」ということである。

この本には、苦手な子どもを算数好きにさせるための具体的な指導の手立てがたくさん出ている。
例えば、次のような算数学習ゲームである。

4年、面積の学習。
ハガキ大の大きさの紙に、縦3本横3本の線を引き、ランダムな四角形を作る。
じゃんけんで勝つと、一マスとれる。
16回やって、とった合計マスの広い方が勝ち。
やってみると、勝敗がわからない。
一マスの大きさがバラバラだからである。
ここから、マスの大きさを揃える必要性を考える。
更に、普遍単位の1平方cmにつなげる。

つまり、活動の一つ一つに意味と価値があるのである。
ただやらせている訳ではない。
こういう授業をくり返していくと「授業は真面目に受けた方が良い」という風土が生まれる。

この本には、この例のように、楽しみながら算数の力をつけるアイデアが満載である。
様々な状況に対応できるよう、様々な方法を身に付けておきたい。

2015年5月17日日曜日

子どもが話を聞かなくなるコツ

前号で、言うことをきくことを期待しないという話をした。
しかしこれは、最高の準備をした上という前提のもとの話である。

また少し前に、料理がうまくいくコツの話を例に出した。
野菜を切る時、サラダならタテ切り、煮物ならヨコ切り。
原則として、同じ種類の野菜であれば、それでうまくいく。

しかし、こと人間に関しては、コツの通りにやっても必ずしもうまくはいかない。
どんなにこちらががんばろうが、言うことを必ずきくかどうかの保証はない。
相手は、生身の人間だからである。

しかし、高確率で言うことをきかなくするためのコツはある。
そんなことを知って何になると思うかもしれないが、これは重要である。
予想できる失敗、避けられるはずの失敗を知っておくことで、成功する確率が上がるからである。
そこで、クラスの子どもが言うことをきかなくなる方法を考えてみる。
わかりやすくするため「話を聞かなくする」という行為に絞って考えてみる。

これはとっても簡単で、反応を無視して好きなようにしゃべりまくることである。
騒いでようが聞いてなかろうが、お構いなし。
とにかくたくさんしゃべる。
大声だとなおいい。騒ぐ子どもの声が更に大きくなる。
そして、内容もいい加減なものがいい。
一生懸命聞いている子どもに損をさせるという基本方針でいけば間違いない。
これを日常的にくり返していけば、賢い子どもほど確実に学習し、聞かなくなる。

コツを並べると、こんなところである。
これらのポイントを一つでも押さえておけば、どんな子どもも話を聞かなくなること請け合いである。
逆に言えば、一つでも当てはまる場合、話を聞く子どもを育てる方向にはいかない可能性がある。

ちなみに、今のコツの肝にあたる部分は「内容」である。
本来は、聞く価値のある話をする。
価値を感じないものに興味を持たないのは、正常な反応である。
授業は、そこに学ぶ内容、価値があるかどうかが9割を握っている。

次号、授業に絞って話を進めていく。

2015年5月15日金曜日

言うことをきくことを期待しない

前号の話との関連。
親と教師、双方の言うことをよくきく状態が望ましい。
しかし、世の中そう簡単にはいかないのが常である。

学級開きから3日間の大切さは周知の通りである。
物事は始めが肝心なのは、確かである。
だが一方で、長期的な視点でゆったり構えることもまた大切である。

学級開き。
気合いが入る。
色々準備をする。
これはいい。
しかし、間違ってはいけないのは「言うことをきかせよう」という思い。
これは捨てた方がいい。
(特に「前年度、この学年は学級崩壊していました」などと聞くと、肩肘張ってしまうのも無理はない。)
親和的な関係性を、時間をかけて築いていく方が優先である。

いつも繰り返し述べているが、大切なのは原田隆史先生の「危機管理の法則」の考え方である。
「最低最悪を想定し、最高の準備をして、楽観的に臨む。」
これに尽きる。
要は、準備はきちんとするけれど、自分の思い通りにはいかないという前提が大切である。
相手は生身の人間なのだから、コンピューターのように規則的には動かない。
(しかし、知識として「現代の高学年女子はこう」というような一般傾向をつかんでおくことは大切である。)

では、「言うことをきかせる」のではなく、何を伝えるか。
「自分はこう考えている」という、自己開示である。
いわゆる「Iメッセージ」である。
「私は」どう考えているのか。
決して「あなたが」どうすべきかではない。
あくまで選択権は、相手にある。
こちらは、より良いと思われる道を提示するだけである。

どんなクラスにしたいのか。
自分の目標は何か。
どんな風にみんなと関わっていきたいのか。
どんな考えを持っているのか。
だから、どんなルールを守って欲しいのか。
そういうことを、きちんと伝える。(楽しい雰囲気で伝えられれば、伝達率はより良い。)
嘘は見抜かれるのでいけない。

要は、「本物で渡る」という一点である。
「本音・実感・わがハート」とは、尊敬する野口芳宏先生の言である。
まずは本気・本音をきちんと伝えて、後の変化(相手の反応)についてはじっくりと見守っていきたい。

2015年5月13日水曜日

学級懇談会で伝える「ねじモデル」

4月、学級懇談会があった。
ここに関する話題。

懇談会で、毎年お願いすることがある。
「先生に感謝し、言うことをきくのですよ。」と、子どもに伝えてくださいという内容である。
苦笑される前提で話す。
一方で、自分の方からも「お家の方に感謝し、言うことをよくきくのですよ。」と常々話すことも伝える。
2つで1セットなのである。

どういうことか。

つまり、このようにすれば、子どもは安定するのである。
大好きな自分の親が、先生の言うことをきけという。
その先生は、親の言うことをきけという。
何も矛盾が起こらない。
感謝の気持ちを持つので、子どもが素直になる。
子どもにとって、どちらの教えも、すいすい入る。
三者全員にとって幸せである。

逆を考える。
一方のみが他方のいうことを「きかないでいい」という。
矛盾が起きる。
子どもはどちらにも動けない。
子どもが悩む。
結果、全員不幸である。

もっとひどい場合を考える。
親は先生をけなす。
先生も親をけなす。
子どもは、「自分の周りにはろくな大人がいない」と認識し、不遜な態度をとるようになる。
お望み通り、子どもは両者の教え全てに反対の行為をとり、どんどん悪くなる。
学校に来る度に、悪くなっていくという最悪の結果である。

これを、「ねじのモデル」で考えて伝える。(私のオリジナルたとえ話である。)
大きなねじの絵を描く。
ねじは、子どもそのものである。
大きなねじを、親と教師、二人で両側から回すことをイメージする。
両者が同じ方向に力を加えれば、ねじはどんどん回って移動する。
正の方向なら上向き、負の方向なら下向きである。
また、両者が真逆の方向に力を加える場合、ねじは動かない。
加えて、ねじ自体が傷む上、力を加えている側も疲弊する。

ここで絶対間違えてはならないのは、子どもにとって親と担任の力は並列ではないという点である。
一生の責任を持って過ごす親の方が、断然上である。
担任は、期間限定である。(だからこそ、新鮮でいうことをきくというのも一面にはある。)
だから、親が言う方が先である。

担任と保護者、両者の共通の願いは、子どものよりよい成長である。
つまり、担任と保護者団は、「こどもの成長」という共通の目的を持った一つのチームなのである。
懇談会ではその辺りの認識について再確認し、共に一年を過ごすという意思、そして志を伝えたい。

2015年5月11日月曜日

最高のチームを育てる学級目標

学級開きの後の具体として欲しいのは、学級目標である。
次の本を紹介する。

『最高のチームを育てる学級目標 作成マニュアル&活用アイデア』
赤坂真二編著 明治図書
http://www.amazon.co.jp/dp/4181853195

こちらは「学級を最高のチームにする極意」シリーズの「赤本」である。
私の書いている部分のタイトルは
『学級目標は「宝島」~海賊船〇組号の目指すもの~』である。
(ちなみに雑誌『授業力&学級経営力』2015年4月号の記事の内容は、これとルール作りを短くまとめたものである。)
http://www.meijitosho.co.jp/detail/21061

ごく簡単に言うと、私の学級目標作りのマニュアルは
1 担任の願いや方針を伝える
2 子どもの願いを全員分吸い上げる
3 願いを全員で共有する
4 全員の願いを結晶させたキーワードで目標を作る
5 願いを「見える化」して掲示物にする
となる。
(私のこの手法は、「原田教育研究所」の原田隆史先生のものが原点である。)

マニュアルとしてはこれだけである。
この裏にある根本・本質・原点は何か。
それは、「民主教育」である。
(ちなみに、これは先日、元教師で現「さくら社」社長の横山験也先生に言われて、なるほどと思った言葉である。)
要は、担任が全部引っ張るのではなく、自分たちで目標を決めてそこに向かう。
自主独立を目指す手法である。

極論すると、みんなで作った学級目標がなくても、学級経営はできる。
担任が目標を掲げて、ぐいぐい引っ張っていけばいい。
私たち教師は、それをすることができると思う。
しかし、今はやらない人が多い。

それは、現在の教育の主流が、教師が強力に引っ張る教育ではなく、子どもが自らの力を開発して協力して突き進む教育だからである。
(一昔前、1学級が60人以上もいた頃は、強力に引っ張らざるを得なかったという。時代の流れである。)

つまり、学級目標作りは「チーム作り」の手法であり、手段なのである。
だから、子どもたちが作る学級目標が必要になる。
民意を反映しない民主教育は有り得ない。
そうなると、掲示物も、みんなで作った手作り感が欲しいと思う次第である。

学級目標は、何のためにあるのか。
その学級経営においては、いらないのではないか。
そういった学級目標の根本・本質・原点を考えるためにも、ご一読いただきたい本である。

2015年5月9日土曜日

クラスを最高の雰囲気にするゲーム&ワーク

学級経営の具体的なコツシリーズ。
次の本もいわゆる「ハウツー」として具体が書かれている。

『クラスを最高の雰囲気にする! 目的別学級ゲーム&ワーク50』
赤坂真二編著 明治図書
http://www.amazon.co.jp/dp/4181811247

これは、クラスを楽しくするためのゲーム&ワーク集である。
(こっちは、前回紹介した本以上に、さらに売れ行き好調のようである。)

現在の経験も知識もなくても、そのまま使える。
この本のコンセプトの良いところは、ただのゲーム&ワークのハウツー本ではなく、「雰囲気づくり」が本質にある点である。
例えば私はこの本で「ことわざカルタ」と「こじつけディベート」の実践を紹介している。
表に見えるのは「楽しさ」である。
一方、裏にある本質は、「ルールやマナーを守る雰囲気づくり」である。
そこの根本を考えると、それは道徳教育である。
人としてより良い生活を求める態度である。

私は、表面的なことが苦手である。
何のためにやるのか、意味もわからず従うのも苦手な人間である。
だからこそ、ルールやマナーには意味付けをしたい。
多分、私に似たタイプの子どもが、どの学級にも必ずいると思う次第である。
(一方で、意味がわからずとも従うという姿勢が、時に必要なことも承知している。)
だからこそ、こういうゲームを通して、ルールやマナーを根本・本質から教えていきたい。

このブログでも、役立つと思う記事を色々紹介している。
しかし、本になる記事というのは、編集や様々な人々を通して精査されている。
時間が惜しい方こそ、本の方も読んでいただきたいと思う次第である。

2015年5月5日火曜日

一人残らず笑顔にする学級開き

前号の続きで、学級経営のコツの具体をどうするかという点について。

ところで今日のメルマガは、すごいタイトルである。
なぜならこれは、本のタイトルだから。
本のタイトルは、練りに練られたキャッチコピーなので、きらきらしていて素敵である。
花やプレゼントのきれいな箱や包装が、中身を飾ったり期待させるのと同じである。
見た目も大切である。
実際に本を出している友人・知人の間でも「いや、本のタイトルって、どれもすごいよね。」とよく話題になる。
例外もあることは想定しつつ、言い切ることが大切なのである。
前置きすると、そういうことである。

では、冒頭のタイトルの本を紹介する。

『一人残らず笑顔にする学級開き 小学校~中学校の完全シナリオ』
赤坂真二編著 明治図書
http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-185215-3
http://www.amazon.co.jp/dp/4181852156

この本には私の書いた原稿もあり、高学年での学級開きが完全にマニュアルとして載せてある。
実際の台詞を書き起こす形で書いてあるので、経験値がなくても使える内容である。
毎年必ずこうする訳ではなく、リニューアルやマイナーチェンジもするのだが、骨組みはこの通りである。
私以外の先生の学級開きも、学年別に同じように書かれているので、自分に合うものを選べる。

「学級開き」というたった一日のために読む本である。
しかし、この一日の価値の高さは、経験のある人ほどよく知っている。
私は「学級開きはテイクオフへの滑走路」と表現している。
それぐらい大切である。
もし4月から初の担任を持つ人は、この本でなくてもいいから、一つマニュアルを持って臨んだ方がいい。
この1日は他の通常の200日に比べ、10倍から100倍の価値を持つという実感である。
そして、5月の連休明けからは、再点検&再チャレンジのチャンスでもある。
1アクション起こしていきたい。

2015年5月3日日曜日

学級経営のコツ 解剖図鑑 「うまくいく!」には科学的理由があった!

「学級経営の必殺技」の続き。
学級経営が一発でうまくいく必殺技はない。
ただ、コツはある。
それも、場合に応じて無数にある。
「積小為大」の言葉の通り、成功のために小さなコツを多く身につけていることが大切である。

次の本を読んだ。

『料理のコツ 解剖図鑑』豊満美峰子著 サンマーク出版
http://www.amazon.co.jp/dp/4801400124

帯にはこう書いてある。
『「おいしい!」には科学的理由があった!』

内容として、例えば次のような小タイトルで料理のコツが100個書いてある。
「すぐ食べた方がいい果物、少し置いておいた方がいい果物」
前者は収穫後も追熟して甘みが増すもので、林檎、バナナ、マンゴー等。
後者は置いておいても甘みが増さず、新鮮なほどおいしいもので、葡萄、蜜柑、苺等が挙げられている。

ここで問題。「パイナップル」はどちらか。

私は「置いておくと甘くなる」方だと思い込んでいた。
実際は、後者の「新鮮なほどおいしい」に属すそうである。
(専門用語で「非クライマクテリック型」というそうである。)

こんな小さなことも、知識として知っているかどうかである。
無知であると、間違った手段をとってしまう。
またあるいは、あるものに対してうまくいく方法が見つかると、他のものにもうまくいくと信じ込んでしまう。

他にも「野菜、タテに切るか、ヨコに切るか」というのもある。
これも正解は、料理の種類によりけり。
「サラダや炒め物」=繊維にそってタテ切り=シャキシャキ感が楽しめる
「煮物、スープの具材」=繊維と垂直にヨコに切る=繊維の切断面から味がよく染みこむ

こんなことは、普段料理をする人にとっては「常識」であるのかもしれない。
しかし、私は知らなかった。
だから、自分が作ると何となくおいしくないのである。

ゴージャスな料理を目指す訳ではなく、普通においしく作るための小さなコツである。
「料理が上手」という人は、こういう小さなコツを、無数に身につけている。
だから、あり合わせのものでも、ちゃちゃっとおいしい野菜炒め等を作れる。

学級経営にもこれは通ずる。
必殺技はなくても、小さなコツをたくさん知っていることである。
そうすると、毎年、どんな状況でも「何となく」うまくいっている状態になる。

この、「小さなコツ」なら、少しずつ紹介できる。
またコツ(ハウツー)の陰にある「科学的理由」も考えていきたい。

2015年5月1日金曜日

指導は受け手9割

こちらも「まぐまぐニュース」に載った記事。
http://www.mag2.com/p/news/3457

5月に入り、クラスの子どもとの関係性も大分温まる頃である。
しかし、個別に見ると、関わりの度合いに差がある。
いくつもの手段でつながっていれば、指導も入りやすい。

5月の休みの時期、一呼吸おいて子どもとの関係性を個別に再点検したい。


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