前号の話との関連。
親と教師、双方の言うことをよくきく状態が望ましい。
しかし、世の中そう簡単にはいかないのが常である。
学級開きから3日間の大切さは周知の通りである。
物事は始めが肝心なのは、確かである。
だが一方で、長期的な視点でゆったり構えることもまた大切である。
学級開き。
気合いが入る。
色々準備をする。
これはいい。
しかし、間違ってはいけないのは「言うことをきかせよう」という思い。
これは捨てた方がいい。
(特に「前年度、この学年は学級崩壊していました」などと聞くと、肩肘張ってしまうのも無理はない。)
親和的な関係性を、時間をかけて築いていく方が優先である。
いつも繰り返し述べているが、大切なのは原田隆史先生の「危機管理の法則」の考え方である。
「最低最悪を想定し、最高の準備をして、楽観的に臨む。」
これに尽きる。
要は、準備はきちんとするけれど、自分の思い通りにはいかないという前提が大切である。
相手は生身の人間なのだから、コンピューターのように規則的には動かない。
(しかし、知識として「現代の高学年女子はこう」というような一般傾向をつかんでおくことは大切である。)
では、「言うことをきかせる」のではなく、何を伝えるか。
「自分はこう考えている」という、自己開示である。
いわゆる「Iメッセージ」である。
「私は」どう考えているのか。
決して「あなたが」どうすべきかではない。
あくまで選択権は、相手にある。
こちらは、より良いと思われる道を提示するだけである。
どんなクラスにしたいのか。
自分の目標は何か。
どんな風にみんなと関わっていきたいのか。
どんな考えを持っているのか。
だから、どんなルールを守って欲しいのか。
そういうことを、きちんと伝える。(楽しい雰囲気で伝えられれば、伝達率はより良い。)
嘘は見抜かれるのでいけない。
要は、「本物で渡る」という一点である。
「本音・実感・わがハート」とは、尊敬する野口芳宏先生の言である。
まずは本気・本音をきちんと伝えて、後の変化(相手の反応)についてはじっくりと見守っていきたい。
2015年5月15日金曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿