2013年3月31日日曜日

「おかず理論」と「くじ引き理論」

先日、スーパーで購入してきたみかんが、大当たりだった。
とっても甘くて、美味である。
いっぺんに食べると勿体ないので、一日に一つずつ食べることにした。
(貧乏臭い話である。)

数日後。
3日でみかんのことを忘れていた自分。
見ると、何事もないように積まれている。
放っておかれても黙って待っててくれるなんて、愛らしいみかんである。
久々に食べようかと、手前のみかんをひょいと手に取った。

緑の粉が、ぱっと舞った。

裏側が、黴びていた。
「かびるんるん」状態である。
周りのみかんも、当然やられていた。
廃棄である。
「あの時食っちゃえば良かったなぁ・・・さよなら・・・。」
よくある、哀しい話である。

何が言いたいのか。

ここ数週間、毎週違った素晴らしい先生の話を聴かせていただいた。
しかしながら、全てすぐに実践できていないのが現状である。
そのことと、みかん事件が、自分の中でリンクした。

原田隆史先生が、成功のための三大理論としてあげている中に「おかず理論」「くじ引き理論」というのがある。
美味しい物は、先に食べる。
当たりくじとわかっていたら、それを引く。

多く、人はそれができないらしい。
美味しいものは、後回し。
当たりはわかっているのに、はずれをひく。
人間の性である。

素晴らしい実践も、人から言われて「ああ、思い出した」ということが多い。
いいと思ったら、即実行。
それしかない。
「いつかとお化けは見たことがない」
「タイミングイズマネー」である。

研修で学んだことを、メルマガに書くことすら追いついていない現状に焦りを感じ、書いてみた。

2013年3月29日金曜日

批判は自分自身に

前回の「批」の続き。

例えば、クラスでとんでもなく勉強ができない子どもがいたとする。
その子どもが、クラスのテストの平均点を著しく下げているとする。

その時「あの子のせいで」と批判していたら、それは自分自身への批判である。
子どもや環境にも原因はあるだろうが、教えられなかったこちらの責任の方がはるかに大きい。
何と言っても、教師は勉強を教えるプロである。
プロが他に責任を求めることはない。

医者が病気を治せずに「あんな病気になった患者が悪い」ということはないだろう。
それで給料をいただいているのである。
子どもが悪いのは教師が悪いと考えるのが、教師の側としては妥当である。
(世間一般からそう見られるのは、分が悪いが。)

自分が子どもの親なら、自分の責任と考えるのが妥当である。
子ども自身の側は、自分自身の努力等に原因があると考えるのが妥当である。

「全ては私の責任です」と全員が受け止めることが妥当であるように思う。

2013年3月27日水曜日

漢字も体験で記憶

前回の続き。

漢字も体験を伴うと、長期記憶に残りやすい。
「批」という字を教えるとする。
手へんに比べる、という構成の字である。

人差し指を立てて、教師を指でささせる。
普通、やってはいけないことなので、「特別ですよ」といってやらせる。
これだけで結構喜ぶ。
いたずらのような、快の体験である。

こうすると、人差し指は相手を指すが、3本の指は自分に向いている。
(親指は、無関係な方向を指す。)
つまり、人を批判、批評する時、実は自分自身を批判、批評しているということである。
割合でいうと、1:3である。
残り1は、環境などの要因である。

他にも「叶」は口に十回出すと願いが叶うことから。
実際に口に十回出させるとよい。
(「日本一ハッピーなクラスのつくり方」金 大竜 著 明治図書より)
「協」は一人一人の小さな力を+すると、大きな力になるので「協力」。
(これは、私が実際教員採用試験の模擬授業の時に思いついて使ったものである。)

漢字も、体験させることで、長期記憶に残るよう工夫したい。

2013年3月25日月曜日

体験が記憶に残る

理科の学力検査の結果を見て、毎年同じことを思う。

誤答が多い原因は、一点にかかっている。
それは、実際に実験や見学をしたかどうか。

教科書や資料集等で済ませてしまった部分は、正答率が著しく下がる。
地層の見学など、できない場合に他の物で代用したとする。
すると、その単元のワークテストをやった時には、きちんとできる。
しかし、学年末の学力検査の時期には、記憶から消えているのである。

実際に見学した場合には、長期記憶として子どもの中に残る。
だから、学年末にテストしても、正答できる。

学習には体験が必要だ、とは、もはや耳にタコの話である。
分かっているがつい「これぐらいなら」と思って、机上で省略してしまう。
すると、それはきちんと結果(負債)として後でついてくる。

やはり、学習において、体験は重要である。
そこに感動が伴えば、より強い記憶に残る。

理科の実験などは、感動を伴う体験活動になるよう、日々工夫したい。

2013年3月21日木曜日

こころのチキンスープ

今日はオススメの本の紹介。

「こころのチキンスープ」ジャック・キャンフィールド
マーク・V・ハンセン編著 ダイヤモンド社

シリーズものなのでたくさんあるが、今回紹介するのはその1である。
累計1億部越えの超大ヒットシリーズなので、知っている人もいるかもしれない。
要するに「深イイ話集」である。
朝の話等で使えそうなものも多い。
エッセイのような文章から、詩まで様々なものが入っている。

何がいいかというと、為になる&心が温まる感じの話が詰まっている。
そして、教師の話が多い。
他の職業に比べ、感動する機会が多い仕事だからかもしれない。
偶然だが、先日メルマガで紹介した「子どもは大人の鏡」というタイトルの詩もある。

「私は教師」というタイトルの詩がある。
冒頭は「私は教師。私は子どもが『なぜ?』という言葉を初めて口にした時に生まれる。」
から始まる。
途中、
「私ほど恵まれた職に就いているものはいない。」
という一文があり、その理由が後に続く。

紹介だけで長くなったが、読まないとまるで伝わらないのが残念である。
春休み、心にも栄養を与えたい。

2013年3月19日火曜日

教師の「心技体」 四十代~

いよいよ、禁断の(?)四十代以降。
この辺りは、何となく触れにくいのでさらっといく。
(失礼にあたらないように、ということである。)

四十代。
一言で言うと「安定感」が感じられる年代である。
「体」はほどほどに、かなり高い「心」「技」がある。
体力勝負な仕事は下に任せ、企画など知的作業の方が中心である。
人口ピラミッドで見ても絶対数が少なく、いればかなり頼りになる存在である。
人間性もさることながら、学校における職務技能全般が高い人が多い。
担任や部活を担当している人も多いため、全年代中最も「技」が高い年代であると思う。

五十代以降は、いわずもがな「心」である。
管理職に最も欲しいのは、高等な授業技術等はさることながら、尊敬と信頼感。
下々の者が自由に動けるよう、「私が責任をとる」という器の大きさである。
私は、そういう管理職によく当たる。
非常にラッキーである。
今は「心」が弱い自分も、いずれそうなりたいと思う。

以上、まとめてみる。
「体」は、二十代が最も高く、どんどん低くなる。
「技」は、四十代辺りで伸び率が最高値になる。(もちろん、これ以降も無限に上がる。)
「心」は、年齢が高いほど上で、若いほど低くなる。

二十代でも人間性が大変高い人、五十代でも体力が高い、という人もいる。
これは、個人差なので、当然ある。

自分はどこが足りないか、考えて意識的に強化していきたい。

2013年3月17日日曜日

教師の年代別「心技体」 三十代

三十代は、何かと仕事を任せてもらえる時期である。
「体」はやや低くなってきたものの、まだまだ職場内では高い方にいる。
二十代の後輩を教える立場なので「技」「心」の両方が二十代より必要である。
両方高いと申し分ないのだが、なかなかそういう人はいない。
どちらかに偏っているのが普通である。

周囲への気配りができる「協調タイプ」は「心」の方が高いことが多い。
一方、我が道を行く「独立心タイプ」は「技」の方が高いことが多い。
前者は親しみやすく、人間的に学べることが多い。
後者はとっつきにくい分、授業技術など盗めるものは多い。

二十代の教師は、両方のいいとこどりで学ぶと良い。
(そして、いずれ自身も大抵どちらかに偏る。)
どっちがいいかというと、どっちも必要である。
先の四十代、五十代の完成形に向け、両方揃った状態を目指す途中経過である。
少なくとも、どちらかがあればよいと考える。
(以前受けた研修での話によると、協調タイプの方が絶対数は多いようである。
まあ、よく考えれば当然である。そうでないと、成り立たない。)

次号、四十代以降を独断と偏見で勝手に分析する。

2013年3月15日金曜日

教師の年代別「心技体」 二十代

大縄で、回し手と跳び手の「心技体」の優先順位が異なる話を前回紹介した。
回し手は技能、跳び手は心(集中力)が肝である。

今回は、「真面目」「すぐ役立つ」路線から離れ、ちょっとコラム的なものを。
教師自身を「心技体」で考えてみる。
心=人間性、情熱等
技=指導技術
体=健康、体力
のように、大まかに能力を分類してみる。
その上で、年代別にみる。

まずは、二十代の教師。
圧倒的に「体」が強い。
深夜残業もどんと来いという感じである。
体力値が、三十代以降には羨ましいほど、半端じゃなく高い。
(過信して、健康を害すことも多々ある。)
加えて、学校生活では外で子どもと全力で走り回って遊べるのも大きな武器である。
(三十代以降は、アキレス腱や動悸・息切れ等に配慮が必要である。)
また、若々しく、子どもとも年齢が近いため、それだけで子どもが寄ってくる。
ミスも多いが、若いから仕方無いと許してもらえるのも強みである。
ガンガンチャレンジできる。
まさに「若さと体力が武器」の二十代。

一方、一般的に「技」は低い。
低いと自覚しているので、必死に勉強している人も多い。
(自覚していない人がいたら、将来危ないので、周りの人がやんわり教えるべきである。)
だからこそ、学習意欲は最も高いといえるかもしれない。

また「心」についても、情熱はあるが、人生経験の浅さゆえ、間違っていることも多い。
間違っているのに、間違ってないと思っているあたりも、若さゆえである。(今更反省)
個人差はあるが、人間性について、一番未熟な状態である。

二十代で学級が崩壊してしまうのは「技」不足であることが多い。
趣味等でリフレッシュしても「技」は高まらないので、解決しない。
本を読む、セミナーに出かける、教えを乞うなど、具体的な行動が必要である。
「技」に偏りすぎて「心」を軽視すると、これまた崩壊するのでそこは注意である。
以前紹介した野中伸行先生の理論で言うと「縦糸の張りすぎ」の状態である。

逆に「技」が低くても「心」(魅力・情熱)でカバーしてしまえる人もいる。
羨ましい限りだが、そういう人は天才なので、自分とは違うと割り切って勉強した方がよい。
「心」を高めるのは「技」を高めるよりはるかに難しい。

トータルして、「体」を酷使しながら、「技」「心」の順に鍛えていくのが二十代教師といえる。
(「いえる」とか堂々と言ってるが、かなり個人的な考えである。)
「体」の値を目減りさせながら「技」「心」を高めていく時期である。

次号、三十代以降に続く。

2013年3月13日水曜日

回し手は「技心体」・跳び手は「心体技」

同じ研修会での話が続いたので、小休止して前回までと違う話題を。
先月に見た、市民縄跳び大会での学びである。
(8の字跳びではなく、20m~25mの大縄の大会である。)
ずばり、今回の学びは、回し手と跳び手では「心技体」の重要な順が違うということ。

記録が出そうなチームは、最初10回跳んだぐらいで大体わかる。
(それ以前の、座って待っている時の状態でもある程度わかるが。)
別に専門的な目とかではなく、観ているほとんどの人が感じていると思う。
何が違うかというと、縄の回り方が違う。
常に形もリズムも安定していて、本当に機械が回しているようである。
チームによって速さや縄の大きさはまちまちだが、そこは共通している。

回し手自身も安定している。
二人が互いにすごく楽そうである。
(実際は結構力が要るはずだが、そう見える。)
必死な感じがない。
淡々と回しながら、かつ集中している。
身体もあまり動かない。
腕を左右に大きく振り回したり、身体が大きく上下したりしない。
自分の体重を上手に使って、互いにタイミングよく引っ張り合っている。
手元で「くいっ」と回している感じである。
「心技体」で言うと、回し手は重要な順に「技心体」の順である。

意外にも、跳び手では判断がつきにくい。
跳び方が多種多様で、めちゃくちゃなようでも跳べるところは跳べる。
列が乱れていても跳べるところは結構跳べる。
跳び手側は、集中力と体力が勝負の肝のようである。
そのかわり、やはり縄は安定している。
規則的にやってくる縄に対してそれぞれ跳んでいるという感じである。
逆に、跳び手がきれいでも、縄が不安定だとすぐひっかかってしまうようである。
跳び手は重要な順に「心体技」である。

やはり「回し手80%」があって、跳び手が生きる。
そして、この回し手育成には、教師自身が回せることが大きいようである。
毎年好記録を出すところは、自身も回せる教師の担任しているチームが多い。
(本番で担任が回しているかどうかとは無関係。)
山本五十六の名言
「言ってきかせ、やってみせ、やらせてみせ、誉めてやらねば人は動かじ」の、
二番目の部分が肝である。
学習資料や研修等で知識面はある程度カバーできるが、やってみせるのがなかなか難しい。
今回の大会は、外から見ることで、いい学びが得られた。

2013年3月11日月曜日

掃除と人物の大きさの相関関係

今回も「ごきぶりだんごの秘密」の松岡会長のお話のシェアを。

松岡会長は、毎日社員用トイレの掃除をする。
床も磨くし、とにかく「日本一キレイな工場」を目指して掃除している。

ところで、どこまで掃除をするのか、ということである。
工場内は当然やる。
工場の外の敷地も、自分の敷地だから当然やる。
松岡会長のちょっと違うところは、工場の周辺までやってしまうところである。

「自分の会社をキレイにするのは、当然のレベル。
この周りのところまでやって、初めて人に誉められる。」
ということである。
つまり、「期待以上のことをする」というのが、ポイントである。

さらに「人物の大きさと掃除をする広さは比例する」という。
偉い人ほど、遠くまで掃除をするそうである。

教室で例えるなら、廊下掃除の際に隣の教室前ぐらいまで掃除する。
学校で例えるなら、学校の敷地の外までごみ拾いをする、といったところだろうか。

何かと参考になりそうな考え方だと思い、紹介してみた。

2013年3月9日土曜日

職業の道楽化

教育者研究会の学びシリーズ第2回。

「人生の最大の道楽は、職業の道楽化にあり。」
講師の松岡浩氏からの学びである。

即ち「自分の選んだ教師人生、最大に楽しむべし」ということ。
今回、この言葉を具現化しているなぁという実践発表があった。

今回の会の「実践発表」のコーナーで、私の元同僚が発表した。
彼は初任の時、私が体育主任、彼が副主任で組み、苦楽を共にした同志である。
辛いことも嬉しいことも、本当に一緒に涙を流した。
初任の頃から大変に優秀で熱心、子どもへの愛情は人一倍、子どもと一緒に涙を流す、熱い男である。
彼が念願の中学校に異動してからは、時々飲む程度でやや疎遠にはなったが、志は一緒である。

中学での学級経営や部活動の指導についての発表だったが、まさに最大限楽しんでいる姿があった。
生徒の願いから吸い上げる学級目標や部活目標の作り方などは、原田隆史先生の手法と同様である。
(知っててやっているのか、偶然一緒なのかはわからなかったが。)
字も達筆で、小学校に勤めている時から、学級の終わりには一人ずつに詩を書いてプレゼントしている。
私には、実に羨ましい能力である。

彼の実践は、まさに「職業を道楽化」している感があった。
「道楽化」というと軽い感じがするが、要はめちゃくちゃ楽しむということである。
学級経営だけでなく、部活動の指導も、大変ながらも相当充実しているのではないかと思う。
そういうのが、びんびん伝わってくる実践発表だった。
小学校だろうが中学校だろうが、いい先生はどこに行ってもいい、ということが腹の底からよくわかった。

どうしてそうなるのか。
要は「一生懸命」なのである。
仕事が好きなのである。
精神論になってしまうが、それしかいいようがない。
「子どものために何かしてあげたい」と思って、形にしている。
そういう先生が、私の周りにもたくさんいる。
見る度に、焦る。
自分もやらなければと。

そういう刺激を受けるためにも、やはり真剣な学びの場には出た方がいい。
住み慣れた場所だと気付きにくいことが、外だと感じられる。
特に急成長した同期や後輩の姿は、驚異であり、脅威である。

「学び続ける者だけが、教える資格あり」の精神で、学び、実践し続けたい。

2013年3月7日木曜日

掃除は一点集中でうまくいく

教育者研究会の学びシェアシリーズ第3回。

今回の学びは、講師の一人、松岡浩社長から。
株式会社タニサケという、殺虫剤の会社の社長である。
「日本一の知恵工場」と社員全員が胸を張る、年商7億円の超優良企業の社長である。
130万部を越えるベストセラー「ゴキブリだんごの秘密」の著者でもある。
全国の新幹線には、このタニサケの「ゴキブリキャップ」が配置されているという。
売り込みのプロでもある。

「金儲けの天才」であるが故に、道徳心を磨くことを「意図的に」行っている。
(ぼーっとしていると、つい金儲けのことを考えてしまうそうである。)
具体的な行為として、「トイレ掃除」を欠かさない。
二年前に同じ会で講師をしたイエローハットの鍵山秀三郎社長と同じである。

更に、「日本一床がぴかぴかの工場にしよう」と、社員みんなで床磨きをする。
何と、一日四回も磨くという。
ちょっと、普通にきくと、異常なほどである。
しかし、この一点集中が、成功の秘訣である。
床がきれいになると、みんな壁の汚れが気になり始める。
床→壁→天井→蛍光灯→・・・と目が移り、連鎖的にきれいになるそうだ。
見学者が入るのをためらうぐらい、ぴかぴかの工場だという。
うまくすれば、学校にも応用できそうな話である。

松岡社長からの掃除についての学びを、次号もシェアする。

2013年3月4日月曜日

経験は意図的に積む

先日、教育者研究会というものに参加してきた。
モラロジー研究会という全国的な団体の主催である。
全国97カ所で開かれているらしい。
文部科学大臣や知事からの祝辞も届く、かなり認知度の高い研究会である。
ここ数年、毎年出ているが、とにかく素晴らしい会で、この地域に住んでて良かったなぁと思う。
(私の地域の場合、毎回野口芳宏先生の講座もある。)
たったの2千円の参加費で、千金に値するものが得られる。
来年はまた2月2日にあるので、既にスケジュール済みである。

という訳で、この研究会での学びを、自分の考えも入れつつシェアしていく。
学びの量が大変多いので、しばらくこれで続けようと思う。

「経験は意図的に積み、それに整理を加えなければ、実力にならない」
野口先生が「この先生が私の国語教育の原点」という、「たかはしきんじ」先生の言だそうだ。
(残念ながら、名前の漢字がわからない。)
確か、この言葉自体は以前にメルマガでも紹介したことがあると思う。
似た言葉が他にもあるので、最初に言った人が他にいるのかもしれないが、それが誰だかはわからない。

とにかく、経験を「意図的に」積むことが大切だという。
ぼーっとしてても、時間が流れる以上、一応「経験」はできる。
「意図的に」とは、目的意識を持つこと。
休日にお金を払ってまで勉強に行くのは、これに属する。
本を買って読むのも同様である。
身銭を切る以上、どうでもいい本は買わないだろう。
何か目的意識があるはずである。
逆に言えば、とにかく勉強会に出たり本を買ったりしようとすれば、目的意識が嫌でもつく。
「意図的な経験」のためには「打って出る」ことが大切である。

では、「整理」とは何か。
例えば、本を書いて出版することは、整理の一つになる。
人に話すことも、実践することもその一つ。
このメルマガも、これに類すると思う。
そういう意図もあって出している。
どんな立派な学びも、放っておくと、カビが生えて腐ってしまうからである。
美味しい内に食べるのがよい。
「感動したら、即実行」を心がけている。
「『いつか』と『お化け』は見たことがない」からである。

また、みんなで分けたら、より美味しいだろうとも思っている。
独り占めするより「美味しかったね」とみんなで言い合える方が良い。
だから、可能な限り、旨い部分だけでもみんなで分けたいと思う。

次号も、旨い部分をお裾分けしていく。

2013年3月3日日曜日

周りと一緒にレベルアップ

大縄・8の字の無料レポートが好評である。
全国の多くの先生と子ども達の役に立っているようで嬉しい。
急激に記録が伸びたという報告もある。
努力はしているのにコツがつかめていなかったというクラスには、効果てきめんだと思う。

以前書いたかも知れないが、このレポートを最初に作ったのには意図がある。
私が大縄の指導を初めてした時、全く指導法がわからなかった。
いや、回し方すら知らない状態である。
(8の字跳びの方は、幸い初任校の6年生が3分450回越えを見せてくれたので知っていた。
たまたま偶然、得意な指導者がいたのである。)

そこで、地域の大縄が得意な先生に教えて欲しいとお願いに行った。
すると、断られた。
企業秘密だと。
自分で何とかしろと。

なるほど、一理ある。
努力しないで教えを乞おうというのは、確かに虫がよすぎる。
しかし、少しぐらい教えてくれても、という思いもあった。
何せ、こちとら何も分からないよちよち歩き状態である。

とにかく市の大会に出た。
子どもの記録は、2分でひっかかりまくって50回程度だった。
連続とびの方は、10回ぐらいしかいかなかったと思う。
ひどい記録だが、その日、回し方を見て、バッチリ盗ませてもらった。

その後は失敗を重ねつつ、上手な人にもききながら、方法をまとめていった。
そして、学んだことは全て周りの人に公開した。
子どもをはじめ他人様からもらったものなのだから、当たり前である。
隣のクラスに教え教わりながら、隣のクラスと競争もした。
面白いことに、周りがレベルアップすると、自分のクラスもそれ以上にレベルアップする。
教えることで気付くこともたくさんある。
他のクラスを見て気付いた弱点が、自分のクラスに当てはまることも多々ある。

だから、今回レポートを受け取った方は、周りの人にもコツを教えてあげて欲しい。
なるべく多くの人の役に立てて欲しい。
レポートの著作権とかは気にしないでいいので、活用して欲しい。
名前を伏せて、どこかで見つけてきた参考資料として配布しても構わない。

とにかく、たくさんの人に活用して欲しい。
そして、もっといい実践を教えていただけたら幸いである。

周りと一緒にレベルアップ。
分け与えた分が、10倍になって戻ってくる。
「情けは人のためならず」を、実践していただきたい。
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