子どもは親より立場が弱い。
身体の大きさも権利も小さく、養育されているのだから当然である。
しかし親の立場も、視点を変えると実は弱い。
例えば、幼児が食事をふざけて食べないとする。
「もうご飯作ってやらない!」と拗ねたところで、養育の責任がある以上、困るのは親の側である。
結局、何だかんだで食べさせるはめになる。
子どもは「してやったり」の笑顔である。
「一食ぐらい」とは思うが、結局困るのは養育を一手に担う親側である。
風邪一つひかれても、苦労するのは親である。
そう考えると、素直にきいてくれる子どもというのは、本当に「有り難い」ことである。
大人と子ども、互いに感謝の気持ちを持つようにしたい。
2013年7月30日火曜日
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