2013年7月17日水曜日

偉い人は違う人

最近、よく手紙や葉書をいただく。
卒業生からもあるが、各種の勉強会で知り合った方々からも多くいただく。
教師に名刺なんて、と思っていたが、やはり必要である。
つながりができる。

そもそも名刺を持つようになったのも、ある出版社の社長さんからの教えである。
セミナーや勉強会に出るなら名刺は持っておきなさいと教えていただいた。
帰ったらすぐ作りなさいとも言われた。

それで、すぐ作ったら、意外と配る機会がなかった。
なぜかというと、自分から交換に行かなかったからである。
「どうせ自分なんて」精神のもと、講師の先生に声をかけるなんて恐れ多いと思ったのである。
周りの人々に対しても同じである。

この精神でいくと、永遠につながりが広がらない。
講師の先生など、実は話しかけるとすごく丁寧に対応してくれる。
講師以外も、勉強会に参加する人はつながりを広げようと積極的な人が多い。

知り合いに行動力のある人がいて、物怖じせずに講師に積極的に質問をしに行く。
すると、何かしら得てくる。
これを見習って、なるべく自分からいこうと思った次第である。

最近驚いたのは、先日紹介した大変腰の低い講師の方から届いた封筒である。
西村徹先生という。
手紙だけでなく、様々なプレゼントまで入っていた。
私なぞにも届くぐらいだから、多分、他の人にも贈っている。
かなりの労力だと思う。
名刺交換して言葉を交わしただけなのに、この行動力には恐れ入るばかりである。

「偉」という字を見る。
「韋」は「はなれる 人並み外れる」という意味である。
(例えば、走るのが人並み外れて速いことを「韋駄天」などという。)
つまり「偉」とは、他の人とはちょっと違うことをする人のことである。
この西村先生のような方のことである。

ところで、「しんにょう」は「道」を表す。
つまり、「間違える」ということは、偉くなるための道である。
挑戦せずにじっとしていることとは「えらい違い」である。
自分も色々挑戦して、子どもにも「間違って、偉くなろう」と教えたい。

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