信頼関係の大切さについて。
7月、アドラー心理学の学級経営セミナーを開催した。
主催者となると、参加者の出欠管理や運営全般に責任をもつことになる。
やってみると分かるが、とにかく色々と詰めが甘いのである。
ちょいちょい、ミスが出る。
そうして落ち込んでいると、仲間の一人がこう言った。
「何言ってるの?松尾さんがやったんだから、当たり前でしょ。」
この文面だけ見ると、ひどいと感じる人が多いかもしれない。
ここがポイントである。
私は、この一言で、すっと肩の荷が下りた。
なるほどと納得した訳である。
「勇気づけ」されたのである。
この一言をかけてくれたのは、私が最も信頼を置く親友である。
つまり、この人は、私のダメな面をとてもよく知っている。
私も、相手に対して同様である。
いわゆる「気の置けない友人」である。
その上で、先の言葉なのである。
もしここでこの友人に「元気出して」「大丈夫だよ」などと優しく言われたら、相当凹んでいたと思う。
むしろ「何に凹んでるの?」「頭大丈夫?」ぐらいの勢いであった。
狭窄的になっていた視点から、正しくメタ認知させてくれた。
だから、一気に元気が出た。
ところで、なぜ私が小さなミスぐらいで落ち込んだのか、分析してみたらわかった。
そう。
ここ最近、サークルに参加できていなかったのである。
そうすると、人間関係も職場が中心になる。
私は、職場の中でも勤続年数が二番目に長く、年齢的にも上の方である。
しかも立場が学年主任である。
つまり、何かと意見されにくい立場にある。
「できる」でなければならないと勘違いされやすい&勘違いしやすい。
この友人の一言で、我にかえった。
そう。
私は、もともとミスが多いのである。
だから、『「捨てる」仕事術』でも書いたように、机上整理の大切さが実感できているのである。
仕事が遅いしミスが多いから、そうならないための工夫を編み出せたのである。
何で一人でがんばろうとしていたのか。
責任感という名の、独りよがりである。
信頼できる仲間たちへ、任せていけばいい話だったのである。
思えば、いっぱいいっぱいの人というのは、大抵人にうまく仕事を頼めない人である。
「人に任せるより自分がやった方がはやい」と言って、全部抱え込んでしまう人である。
責任感があるといえばきこえがいいが、多くは単に無理しすぎである。
(逆に、無責任すぎて自分でやるべきことをやらない人がいたら、それはそれで困る。)
話を元に戻す。
字面だけだとひどいと思うような文面でも、文脈によって意味は全く変わる。
例えば関西の人にとって「アホ」は挨拶でもあり、誉め言葉ですらある。
文脈、つまりそこでの文化や、相手との関係性が全てである。
子どもへの声かけも同様。
何という言葉が響くのか、何という言葉が「最適解」なのか。
励ましたい時に褒めればいいというものではないし、悪いことをした時に叱ればいいというものでもない。
その答えは、関係性の中、信頼関係の中にしかない。
教育に限らず、人間関係においては、信頼関係の構築が何より優先されるべきことである。
2019年8月17日土曜日
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