人間は、いつも周囲にサインを出している。
それを解き明かすのが心理学の分野の一つである。
例えばビジネスで腕を組むと、相手への警戒のサインになるという。
相手に心を開いていない証拠である。
あるいは、契約等に対して熟考している段階である。
この腕組みは、癖になる。
腕組みは、威圧的なポーズになる。
学級担任がやる場合、「支配」のポーズである。
(あくまで「支配」であり「統治」ではない。)
相手を上から見下ろすポーズになる。
腕一つで、パフォーマンスができるということでもある。
腕を広げた状態で話すと、心を開いている感じが出る。
一緒にやろうというメッセージになる。
やる気に満ちた感じになる。
前で手を重ねる。
これは、基本的には服従のポーズである。
接客業の基本姿勢である。
これだと、少し弱さや柔らかさを出せる。
学級担任であれっば、強いイメージが出すぎる人にはちょうどいいポーズである。
頬に手を当てて顔を傾ければ、「困った」とか「一緒に考えて」というメッセージになる。
結論何でもいいのだが、身体が常にメッセージを発しているということである。
子どもが全員前を向く「講義型」あるいは「スクール型」と呼ばれる机の配置であれば、尚更その影響を子どもは強く受けるということである。
学級担任の気分がそのまま子どもに反映し続けるといっていい。
だから、学習形態や、教師の立ち位置は大切である。
特に感情の上下を隠しきれないという人は、子どもの目が教師から逸れる工夫をしないといけない。
発表の時も教師を見続けているとすると、こちらの「評価」まで見抜かれてしまう。
つまり、教師の求める答えを模索する子どもが育つ。
これだと「鵜飼い」状態から脱することはできない。
(常にコントロールし続けたいなら、子どもが常にこちらを見ている状態は好都合である。)
主体的で対話的で深い学びからどんどん遠ざかることになる。
教師は、教室にいる間中、身体全体でサインを発し続けている。
それを子どもは受け取り続ける。
だから、自分の機嫌が悪いと、何もかもが悪意に満ちて見えるようになる。
逆に、自分の調子がいいと、何もかもが上手くいっているようにも見える。
そういった自覚をもって臨めば、自ずと授業のやり方や自分の立ち振る舞いも変わってくるのではないかと思う次第である。
2019年8月13日火曜日
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