私が学ばせていただいているある会で
「人間は、生きている間は、完全に自分で与えることはできない」
という話が出た。
つまり、自分ではどんなに、他人のためにやっているつもりでも、どうしても他者のお世話になってしまう。
何か金銭なり物資なり労働力なりを与えているつもりでも、元を辿っていけば、自分ではない他者からの恵みである。
完全に「自分発」ということは、ないのだという。
そもそも、命自体が与えられたものである以上、ここからは逃れられない。
つまりは、生きている間は、他者のお世話になり続けるしかない。
そういう中で、自分がやらせていただける範囲のことをせめてやらせていただくしかない。
そう考えると、仕事とは天から与えられた使命である。
己のためにあるものではない。
仕事における私とは、社会における公器である。
大きなことを成し遂げたいと思う。
一方で、小さなことを疎かにしてしまう。
仕事では、日々の小さなことが大切である。
思いやりと口にするのは簡単だが、これとて小さなことの積み重ねである。
以前に「背筋を伸ばす」ことが思いやりにもつながると書いたが、そういうことである。
言葉遣いも日々の態度も、物の扱いも整理整頓や清掃も、何でもすべてに言える。
粗雑なままではできないことである。
何事も、やらせていただく。
本当に自分のものなどない。
一つ、達観した見方ではあるが、経験豊富な年長者の方に学んだことであるので、シェアしてみた。
2020年3月31日火曜日
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