前々号に関連して、良いものを取り入れるということについて。
食べ物に絞って考える。
外食に行くと、大抵味付けが濃いものが多い。
なぜか。
それが一番、味を誤魔化せるからである。
素材の良し悪しを抜きにして、「旨い感じ」が出せる。
舌がそれを覚える。
すると、素材の味がわからなくなる。
ソースや醤油、ケチャップ、マヨネーズやドレッシングの味を「うまい」と感じるようになる。
そうなると、身体に良い淡泊な野菜そのものの味はわからなくなる。
世の中には、明らかに違う次元の味がある。
しかし、それには気付くこともない。
馬鹿馬鹿しいと思えるほど、高い(=ハイコスト)からである。
無農薬野菜の生産コストを考えればすぐにわかる。
「同じようなもの」を安価で食べることができる以上、わざわざ食べには行かない。
これは、あらゆることにいえる。
本物と偽物の区別がつくのは、本物を知っている人だけである。
仕事もそうである。
何となくできてる感じだと、より良いものを知ろうと思えない。
「今のままで十分」となる。
こうなると、成長は止まる。
環境も大切である。
周りのレベルが自分と同じぐらいだと、安心する。
しかし、それでは「より良いもの」にはなり得ない。
やはり、外へ見聞のために出る必要がある。
良いと悪いの区別がつくようにする。
そのためには、何事も、「本物に触れる」ということが第一歩である。
2020年3月21日土曜日
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