前号と関連して、本物に触れるということについて。
世の中には、明らかに「次元の違う」人がいる。
立ち振る舞いや言葉遣い、醸し出す雰囲気などが、尋常ではない人である。
一般の人とは、生き方がまるで違う人である。
周りの人に「感化・影響」を与える人物である。
こういう人に会えそうな機会がもしあれば、積極的にそこへ出かけるべきである。
今回は、生粋の武家育ちの方のお話を聞く機会があった。
「武士道から学ぶ現代の子育て」というテーマである。
講師は作家・武士道研究家であり、日ノ本塾主宰の、石川真理子さんである。
冒頭に「教える人の歌」として、次の言葉を紹介された。
言葉で教える人尊し 姿で教える人なお尊し
石川さんは、祖母を尊敬していたという。
祖母の前で「こうしなさい、ああしなさい」と言われなくても、そうしたいと思う。
きれいな言葉や振舞をしたいと思わされるような凛とした姿に、感化・影響された訳である。
つまりは、教育は行動にあり、その姿にあるといえる。
武家の人間として躾けられた「原則」が二つあるという。
一つ目は、背筋を伸ばすこと。
二つ目は、口角を上げて明るい表情で、朗らかであること。
これらが、ひいては「人を大切にする」ということにつながる。
この話の後、会場全員に対し
「皆様、姿勢を正して頂けますでしょうか」と言われた。
私は会場の後ろから見ていたからわかるが、確かに多くが、お世辞にも姿勢がいいとは言えない状況だった。
全員がすっと背筋を伸ばすことで、会場が「凛」とした空気になった。
続けて、辛くなったら「あと5分」を繰り返すというお話をされた。
これが、克己心を鍛える基本となるという。
武士道の本質は、克己心。
すなわち公の精神であり、私の対極である。
そもそも武士は、戦いの中だからこそ仕事があるといえる。
平和な江戸時代に、警護の役割を失った武士が、一般の人に何をできるか。
それは、人々に「規範」を示すこと。
あるべき姿を示すことである。
発せられた言葉が同じであっても、姿で重みが変わる。
「何を言う」より「誰が言う」である。
目の前の講師の先生の姿が、それが真実であることを如実に物語っていた。
長くなるのでここまで。
次号、もう少し学びをシェアしていく。
2020年3月22日日曜日
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