大学一年生が実習に来た際に話した内容。
「学級づくりについて教えてください」という大きなテーマの依頼である。
何はともあれ、伝わりそうな大事な内容を話そうと考えた。
そこで
「学級担任にとって、笑顔は仕事の一部です」
という話をした。
前日の夜、あるいは朝、嫌なことがあったとする。
誰かとケンカしたかもしれないし、車をぶつけて凹んでいるのかもしれない。
しかし、そんなことは子どもには一切関係ない。
教室は、子どものための空間である。
そして、教師は、子どもに良い影響を与えるのが仕事である。
子どもが元気になる空間を作るのが仕事である。
よって、教室では笑顔。
無理でも笑顔である。
そもそも、毎日生きていて、そんな笑顔なことばかりがある訳ではない。
そんな低確率な「自然」に任せていては、仏頂面が大半になってしまう。
「別に」といった感じで「普通」の表情では、不愛想に見えてしまう。
子どもは、それをどう受け取るか。
「恐怖」である。
教師の顔色を伺うようになる。
しかし普段が仏頂面の人ほど、そういう子どもを育てたくないという。
だから、基本は笑顔でいる必要がある。
「普通」が笑顔なら、顔色を伺う必要がなくなる。
また普段が「満面の笑み」である必要はない。
柔らかめの表情、「アルカイックスマイル」程度でいいのである。
0より上の状態とわかればよい。
一方、一番怖いのは、怒っている顔よりも「無表情」の方である。
なぜこの話を冒頭にしたかというと、参観中の大学生たちの表情がわからなくて怖かったからである。
事情としては、当時「万一インフルエンザを子どもにうつさないように」ということで、全員マスク着用が義務付けられていたのである。
何より、安全第一である。
学校の感染予防の観点からすると、当然であり、致し方ないことである。
さて、全員マスク着用&上下黒系スーツがクラス会議で円になっている子どもの椅子の後ろを取り囲み見下ろす図。
これは、かなり怖い。
「参観」というより、気分は「監視」である。
参観慣れしているはず子どもたちだが、かなり固い空気になっていた。
事後検討会の際、マスクを取ってもらうと、みんな実に爽やかな笑顔の大学生たちなのである。
これだけで、全く違う人間に見える。
挨拶も爽やかである。
つまり本来「マスクをしたまま授業をする」というのは、現状のように余程の事情がない限り、避けた方がよいことなのである。
マスクは、一切の表情を消す能面の役割を果たすという側面を忘れてはいけない。
喜怒哀楽の表情が伝わらないということは、一切の指導が入りにくくなると考えて間違いない。
笑顔は仕事。
「嫌なことがあったんだから仕方ない」というのは、子どもの論理である。
不摂生をしないことや笑顔であることは、仕事の一部である。
対人間の仕事の基本中の基本だが、見落とされがちな点であると思い、書いてみた。
2020年3月5日木曜日
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