様々なアンケート結果や統計データを見ての気付き。
統計結果を「真実」として見てしまう。
これは、数学的リテラシーの欠如である。
ごくわかりやすい例だと、棒グラフや折れ線グラフ。
例えば、ある試みをした後で、前後の変化が5%しかなかったとする。
50%が55%になったというような場合である。
100%が上限で0%が下限の縦軸では、ほぼ横ばいである。
しかし、これも縦軸の数値をいじれば、激変して見える。
上限の数値を60%にして、下限を省略して40%にすれば、かなりの大幅な変化に見える。
グラフは、完全に見せ方次第である。
見せ方のためのツールなので、当然といえば当然かもしれない。
データの見方について、演習問題をやってみる。
次の結果を見ていただきたい。
Q あなたはお子様が通われている学校に、次のようなことを望みますか。
(後ろの数値は「とても望む」「まあ望む」の合計)
1 子どもの学校での様子を保護者に伝える 96.8%
2 保護者が気軽に質問したり相談したりできるようにする 92.7%
3 学校の教育方針を保護者に伝える 92.2%
4 いつでも自由に学校を見学できるようにする 65.7%
5 学校の教育方針を保護者の代表が参加する委員会で決める 40.2%
【引用資料】
「学校教育に対する保護者の意識調査」2012 P.8
Benesse 教育研究開発センター・朝日新聞社共同調査
https://berd.benesse.jp/up_images/research/all.pdf
全国の7000人弱の保護者の回答結果である。
この結果を見て、どういうことを考えるか。
「保護者に様子を伝えることが一番大切なのだ」
「保護者が気軽に質問や相談できることが何よりも求められている」
と考えたとしたら、拙速である。
このデータは、自由記述によるものではない。
一つ一つの定まった項目に、四件法(4段階できくもの)を用いたものである。
つまり、「そうだ」としか思えない質問項目なら、確実に上位にくる。
もう一度、アンケート項目を見返してみる。
「子どもの学校での様子を保護者に伝える」
これを「望まない」と答える人がどれぐらいいそうか。
「子どもの学校での様子に関心がない」というに等しい。
わざわざアンケートで尋ねなくとも、ほぼいないということが容易に想定される。
「保護者が気軽に質問したり相談したりできるようにする 」
「学校の教育方針を保護者に伝える」
ともに、同様である。
学校に質問や相談ができない、方針がわからないということが、いいはずがない。
尋ねるまでもない項目である。
そもそも、アンケートというものは、大抵の場合、求める方向性がある。
「こういう風に答えるだろう」という項目を設定し「ほら、みんなこうですよ」と示したいということが多い。
商品についている「満足度99%!(当社調べ)」なども同様である。
統計結果に騙されない。
メディアの流すニュースには、意図がある。
その辺りの裏を読み取る力は、子どもにもつけるべき数学的リテラシーの一つである。
2020年3月24日火曜日
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