3.11から、10年目に入った。
震災当時の騒ぎを思い出す。
被災地が混乱していたのは、当然である。
残念なのは、当時全く関係ない地域まで混乱していたことである。
コンビニやスーパーから一気に食糧品等がなくなった。
餓鬼による買占め行為である。
台風19号の時もそう。
ガソリンスタンドに行列。
今回のマスク騒動。
全て同じである。
3月5日のメルマガに書いた、節度と節制の問題である。
千葉県の南部でも、3.11の震災から数週間、給食に変化があった。
最初は給食自体が止まった。
次に、再開したら、お米と一品のおかずだけだった。
これに、当時私の担任していた5年生の子どもたちは、どう反応したか。
「有難いね」
「おいしいね」
である。
これが、節度である。
食べられるだけでも、相当に恵まれた方だとわかる境遇である。
「これだけ?」「もっとおかずないの?」
とは言わない。
「今は食べ物が少ないから、少しで我慢しよう」
これが、節制である。
少ないと、有難みがわかる。
湯水のように使っていたものが、当たり前でないと気付く。
「ある」ことの有難みを思い出せる。
大規模停電の時にも、水が止まった時にも、散々経験したことである。
無いなら無いなりの生活を考えるべきである。
少しでもあるなら、その少しで成り立つ生活を考えるべきである。
他から奪ってまで自分の欲望を満たそうとするのは、餓鬼の行為である。
「少ないなら分け合う」が、人間の人間たる証である。
異常事態というのは、当たり前を見直す機会になる。
震災の教訓を忘れていないか。
今回のウイルスから派生した一連の騒ぎは、この教訓を生かせていないことを思い出させる天からの声である。
2020年3月15日日曜日
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