2020年3月15日日曜日

有難みを思い出す

3.11から、10年目に入った。
震災当時の騒ぎを思い出す。

被災地が混乱していたのは、当然である。
残念なのは、当時全く関係ない地域まで混乱していたことである。

コンビニやスーパーから一気に食糧品等がなくなった。
餓鬼による買占め行為である。

台風19号の時もそう。
ガソリンスタンドに行列。

今回のマスク騒動。

全て同じである。
3月5日のメルマガに書いた、節度と節制の問題である。

千葉県の南部でも、3.11の震災から数週間、給食に変化があった。
最初は給食自体が止まった。
次に、再開したら、お米と一品のおかずだけだった。

これに、当時私の担任していた5年生の子どもたちは、どう反応したか。
「有難いね」
「おいしいね」
である。
これが、節度である。
食べられるだけでも、相当に恵まれた方だとわかる境遇である。

「これだけ?」「もっとおかずないの?」
とは言わない。
「今は食べ物が少ないから、少しで我慢しよう」
これが、節制である。

少ないと、有難みがわかる。
湯水のように使っていたものが、当たり前でないと気付く。
「ある」ことの有難みを思い出せる。
大規模停電の時にも、水が止まった時にも、散々経験したことである。

無いなら無いなりの生活を考えるべきである。
少しでもあるなら、その少しで成り立つ生活を考えるべきである。
他から奪ってまで自分の欲望を満たそうとするのは、餓鬼の行為である。
「少ないなら分け合う」が、人間の人間たる証である。

異常事態というのは、当たり前を見直す機会になる。
震災の教訓を忘れていないか。
今回のウイルスから派生した一連の騒ぎは、この教訓を生かせていないことを思い出させる天からの声である。

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