2020年3月30日月曜日

与えられるほど、欠乏する

石川真理子先生の「武士道から学ぶ現代の子育て」の話から。
次の言葉が印象に残った。

与えられれば与えられるほど、欠乏していく。

物が悪いとはいわないが、目に見えるものに頼りすぎるあまり、目に見えない本質の部分が伝えられていないのではないかという。

花が咲くためには根が必要である。
一方、根を鑑賞する人はいない。
しかし、根が張っていなければ、美しい花は咲かない。

ここを育てる。
人間にとって、心は根。
基本、根本。

そのような内容だった。

ここから私見。

教育において、与えるという行為には、弊害が伴う。
至れり尽くせりの快適すぎる環境においては、子どもが依存的になる。

一方で、欠乏を体験させることで、伸びる面がかなりある。

前にも書いたが、教師が4月、靴箱やロッカーににネームシールを貼ってあげる必要が本当にあるのか。
何も貼ってなければ、確かに子どもが困るかもしれない。
しかし、そのあとで必ずアクションを起こす。
「とりあえず適当に入れる」とか
「ネームシールを自分たちで貼るから作らせて欲しい」と頼んでくるとか、色々である。

教室も、教師がいちいち細かく環境整備をしてあげていると、自分たちで工夫してやらなくなる。
子どもが自分でやれることには、手を出さないというのが基本である。

ちなみに、根の話をすると、植物は一定期間水を与えないと、根を伸ばすようになる。
少ない水を求めて、地中に根が張るのである。
そうすると、強くなる。
ちょっとやそっとのことでは倒れない、へこたれない頑丈な植物になる。

欠乏を体験させる。
子どもが本当に可愛いのなら、やはり
「可愛い子には旅をさせよ」
である。
親や教師が我慢できるかどうかが勝負の分かれ目である。

子育てには、我慢して、見守る姿勢が大切である。

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