2020年3月26日木曜日

〇〇について指導しないのはなぜですか?

年間を通して、実習生や学生ボランティアなど、様々な人が教室に勉強に来る。
そうして、放課後などに様々な質問を受ける。

その中で
「〇〇について指導しないのはなぜですか?」
という質問を結構受ける。
○○に入るのは、一般的に「こうすべき」といわれていること全般である。

知識として学んだことと、現場で実際に見るものが違うからである。

例えば、私も常々述べているが
「聞く」ということは、いの一番に指導すべき事項である。
いわゆる学級崩壊とは、話を聞けない状態に他ならない。

だから、話をしっかり聞くということを最初にしつこく指導する。
今私が担任している学級でも、一年生の4月から、耳にたこができるほど指導してきたことである。

その割に、私が話している時に、あまり徹底していない様子を見て、学生が質問してきた。
「話を聞く」が大切という知識をきちんと頭に入れているからこそ気付けることであり、とてもいい視点である。
こういうことに気付けること自体、将来有望である。

これは、決して知識が誤っている訳ではない。
かといって、現場の私の対応が誤っている訳でもない。

知識として学ぶものは、一般化されたものである。
最も汎用性が高く、広く通用しそうというものが、知識として伝達される。

一方で、一般化された知識というのは、万人にフィットするものではない。
大量生産の既製服のようなものであり、それはオーダーメイド品ではない。

つまり、教育に限らず全ての現場は
「一般的にはこう対応すべきだとされているけれども、今回は敢えてこうした」
ということの連続である。
ここが仕事の難しさであり、面白さでもある。

当然、現場経験のない学生にとっては「なぜ??」の連続である。
これはインターンや各種職人の弟子というような立場の人にとっても、同じだろうと思われる。

今回の「話を聞く」の件については、私が今年度あえて「周りとおしゃべりしやすい環境」を作ってきていることに起因している。
「教師の話を聞く」の段階から「仲間との交流」を重視する段階にいるからである。
今の学級と私との関係性から、私の話を真剣に聞かせること自体は、大変に容易である。
むしろ、聞きすぎるから、どうやって教師に目を向けさせないか、に注力している。

しかし、そんな文脈は一般的ではない。
そんなことを知識として記すと、とんでもないことになる。
いきなり真似したら、学級崩壊まっしぐらコースである。

だからこそ、知識をベースとして見ることが大切になる。
あくまで基本があり、応用があり、更に自在になってくると、こういう風にもできる。
そういう見方ができるようになるのも、基本的な知識があってこそである。
武道で言う「守破離」の各段階の違いである。

まずは、知識やマニュアルを大切にする。
その上で、目の前の相手にどうするかを考えて実行し、改善を加えていく。
このステップが、技を磨く上で大切になると思う次第である。

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