前号に関連して、電話対応の話。
「電話は、かけた側が先に切るのが原則。」
なぜならば「こちらに用事があってかけて、それが済んだからこちらが先に切る」
という一連の流れがあるからである。
その通りである。
しかし「教師の電話対応」として考えた場合
「基本的にこちらから電話を先に切らない」
ということを、原則として採用してよい。
どういうことか。
あらゆる「常識」には「原則外れ」がある。
電話応対の場合、「相手が上の立場や顧客の時は、たとえこちらがかけた側でも、後に切る」
という原則外れが起きる。
こちらの用事が済んだから先にさっさと切るというのが、失礼に当たるからである。
そして、教師、特に学級担任が職場からかける電話の相手として一番多いのは誰か。
いわずもがな、保護者である。
保護者に対して、丁寧な対応をする。
これに間違いはない。
上下とか年齢とか、そういうことは関係なく、「丁寧」に限る。
(決して「卑屈」ではない。「凛として、丁寧」である。)
なぜなら「大事な子どもを預からせて頂いている」という立場だからである。
子どもは物ではないので、いい例とはいえないかもしれないが、次のような場合を考えてみる。
自分の宝物がある。
それを自分の代わりに預かって大事に保管してくれるという「金庫」がある。
その対応をしてくれる係員が、横柄だったりいい加減な感じだったらどうか。
預けること自体が不安になる。
学級担任は、宝物を預かっている立場なのである。
だから、「全ての対応が丁寧」というのが原則なのである。
これは、子どもに対するところからである。
「上下関係」というような小さな問題ではなく、「人間としての関係」であり、職務上の責務ともいえる。
常識の存在価値は、人間関係がスムーズにいくこと。
その常識の「根本・本質・原点」を考えて、使えるものは上手に使う。
一方で、必要な時にはその原則を変えて対応するような柔軟さをもつことが肝要である。
電話だけでなく、あらゆる「常識」「当たり前」についていえることである。
2020年3月17日火曜日
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