4月に入り、新学期も始まるところで、ブログを再開する。
学級開きもできない状態で投稿するか迷ったが、全国には必要な人もいるだろうと考ええて再開する。
人間は、基本的に保守的にできている。
今いる場所から動かないのが一番安全と考えるからである。
特に農耕民族はそうである。
新しいことは怖い。
なぜか。
見えない、先が見えない、何が起きるかわからないからである。
つまり「不安」の二文字が示すように、安全でないと思えるからである。
不安は、起きるかどうかわからないようなことに対してのみ起こる感情である。
もし確実に起きることであれば、不安ではなく恐怖を感じる。
(今回のウイルス騒ぎは、恐怖を感じるべき部類であり、楽観は許されない。)
不安による予測した出来事というのは、9割以上起きない。
また、不安は、暇な時にこそ起きる感情である。
だから、長期休みの時には、不安になりやすい。
忙しい時には、起きるかどうかわからないような未来の出来事に構っている暇はない。
今目の前の出来事に対して必死な時には、起きようのない感情である。
さて、このメルマガ読者の中には、新しい学年・学級への不安を抱いている人も多いと思われる。
初任者等で初めて担任をする人なら、尚更である。
新しい学級を目の前に、どうすればいいのか。
基本的に、新年度にまず学級担任がすべき仕事は二つである。
それは「人間関係づくり」と「仕組みづくり」である。
人間関係づくりは、単純化して2方向ある。
これには過去にこのブログでも紹介した「縦糸・横糸理論」がある。
(この理論については人によって色々な捉え方があるので、その違いは割愛。)
縦糸とは、教師と子どもの関係。
横糸とは、子ども同士の関係。
学級の最初は、縦糸の方に力を入れる。
縦糸がつながらないと、教えが入らないためである。
学級が崩れた状態というのは、この縦糸が過半数の子どもと切れた状態を指す。
縦糸も、後々で横糸をつなぐためである。
最終的には横糸が強いほどに子どもは育つ。
自分たちで協力して動くようになり、教師が引っ張る必要がなくなってくるからである。
最初は、縦糸。
教師との「信・敬・慕」の関係づくりである。
信頼に足る先生か。
尊敬に値する先生か。
慕いたくなる先生か。
信頼は、子どもとの約束を守ることや、自分を守ってくれたという経験から生じる。
一朝一夕では築けないが、第一印象が後々に響くので、初日が大切である。
そして積木と同様、築くのは地道で大変な割に、一発で崩れていまうのがこの信頼である。
差別的な言動や、いざという時に守ってくれなかったという一回の経験だけで、跡形もなく崩れ去る。
尊敬は、相手を認めることで生じる。
学校なら、授業である。
自分を伸ばしてくれると実感できる授業や実践をしていれば、自ずと尊敬の念は抱かれる。
一方で、教師の独りよがりな実践は逆効果である。
慕う気持ちは、関わりの量が命である。
休み時間に一緒に話したり遊んだりして関わること。
これは子ども同士の横糸強化にもつながる行為である。
横糸は子ども同士をつなぐ活動を、心理的安全を確保しながらどれだけ組めるかが肝となる。
侵害行為がある子ども同士では、横糸はつながらない。
安全・安心が何よりのベースである。
その土台が「話を聞く」ということである。
これらの要素を意識して、初日から3日間で何をするか決めておく。
「学級開き」に関する書籍は多数あるので、読んでみるとイメージがつかめるかもしれない。
次に、仕組みづくり。
朝登校してから下校するまでにある諸々の基本的な仕組みを作る。
一年生だと、登校してから机やロッカーのどこに何を入れるとかいうことを細かく決める。
これは、可能な限り大枠だけ考えておいて、後の細かい部分は子どもと相談しながら作るという姿勢がよい。
なぜなら、前年度までのそれぞれの学級の仕組みが違うからである。
それぞれの良さを取り入れつつ、子どもたちとともに新し仕組みを一緒に作っていくとよい。
朝の会、帰りの会の内容。
日直の仕事。
係。
給食当番と配膳、おかわり等。
掃除。
まだまだあるが、要は「特別活動」に示されているような内容である。
生活に必要な最低限の仕組みを決めておく。
そうしないと、学級生活が安定しないからである。
「万が一担任が休みでも、授業以外のことはとりあえず一日は回る」というような仕組みを考えるとよい。
仕組みと関わって、最初の週の分の授業準備はしておく。
最初だから、いきなり教科書でなくてもいい。
少しトピック的に楽しいものをやりつつ、あわせて学習のルールを入れていく。
これだけだとイメージが湧かないと思うので、具体的な例を挙げる。
例えば授業をやりつつ、誰かが発言した後に次のように語る。
「今、〇〇さんの発言中に、みんな黙って聞いてましたね。
素晴らしい。
これが一番大切なことなのです。
誰かが発言している時には、自分が喋りたくても黙ってきく。
みんな、自分を大切にして欲しいですよね。
当たり前です。
そのために、相手を大切にするのです。
(黒板に簡単な関係図を書きながら)
みんなが互いに相手を大切にしていれば、自分も大切にされますね。
互いの存在を大切しあえる、そういうクラスを作っていきたいですね。
だから、誰かが話している時は、お話泥棒をせずに、黙ってきくようにしましょう。」
これは一例だが、このように学級でのあり方や、授業のルールをはさんでいく。
一気にやらずに、かつなるべく最初の3日間の内に一つずつ入れていくのがポイントである。
最後に、不安の最大の原因について記す。
それは「うまくやらねばならない」という気持ちである。
うまくなんてやらなくていいのである。
大切なのは、うまくやることではない。
きちんと準備をした上で、後はどうなろうが出会いを楽しむことである。
どうせ計画通りになんていかない。
準備していた途中で、急にクラスの〇〇さんが教室を飛び出すかもしれないのである。
けんかをするかもしれないのである。
そこまで想定しきららない。
起きたら起きたで、さあどうしようと目の前の子どもと一緒に考えていけばいい。
その日々の積み重ねこそが、学級の強固な信頼を築いていく。
いずれにしろ、学級をもった経験がないなら、関連の本一冊だけでも読んでおくことをおすすめする。
出会いの準備さえしておけば、後は何が起きても、その場の対応である。
あくまで準備はした上で、あまり型にはめてうまくやろうと考えずに、楽しむ姿勢をもって新年度の出会いに臨みたい。
2020年4月9日木曜日
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