6年以上前になるが、「ノミの天井」という話を紹介したことがある。
参考ブログ:教師の寺子屋「ノミの天井」
http://hide-m-hyde.blogspot.com/2013/11/blog-post_27.html
ここに関連して、面白い話を先日きいた。
何と、このノミの天井状態から、復活する方法があるという。
以前紹介した「励ます」とは別のアプローチである。
もはや自分には虫かごの天井以下までしか跳べないと完全自信喪失状態のノミA。
彼を本来の自分へ回帰させる出来事とは。
それは、ノミBとの出会いである。
ノミBは、脅威の跳躍力の持ち主。
自分の身長の150倍もの高さまでジャンプする。
人間に例えるなら、軽々都庁を飛び越えるほどの跳躍力を誇る。
こういうとすごいように聞こえるが、ノミ界ならごく一般的な、いわゆる普通のノミである。
このノミBと共同生活させる。(もちろん、天井なしの環境である。)
ノミBは、普通にびょーんと跳ぶ。
ノミAびっくり。
ノミAは試してみるが、跳べない。
「やっぱり自分はダメなんだ」
落ち込むノミA。
そんなノミAの悩みも知らず、普通に跳びまくるノミB。
何ならノミCとかノミDとかも入れてみる。
(書いてて痒くなってきた。夏場でなくて良かった。)
ある日、ノミAは無数のノミ仲間と一緒に遊んでいる内に、自分がいつもよりだいぶ高く跳べていることに気付く。
ノミAは思う。
「あれ。自分も跳べるんじゃね?」
かくして、試してみたら、跳べる。跳べた。びょーんといけた。
まさに「クララが立った!」の瞬間である。
要は、自己催眠をかけていた訳で、元々その能力自体は身体に備わっていたので、当然といえば当然のことである。
(同様に「疾病利得」がある場合も、無意識に身体能力等が制限されることがある。)
ここのポイントは、ずばり「仲間」である。
人間も、どんな仲間に囲まれているかで、自分の能力を規定するところがある。
進学校に行ったら毎日数時間勉強するのがみんな当たり前だし、部活動の強豪校へ行けば、厳しいトレーニングもみんな日常である。
それを普通にこなす人間がいる。
そうすると、自分もできる気がしてくる。
小学校などでも同様の現象は起きる。
なわとびがわかりやすい。
体育で、誰か一人が二重跳びを成功させると、次々にできる子どもが続出する。
ちなみに現任校では、前年度、はやぶさのような高度な技を平気でビュンビュンやる子どもが何人もいた。
三重跳びをする子どもまで出てきた。
一年生で前跳びの1回旋1跳躍の「よちよち歩き」から始めた、二年生での出来事である。
これは、物凄い勢いで練習する先駆けの子どもたちが存在したためである。
「○○さんができるなら、自分もできる!」と思い込み、集団が次々とできるようになってしまったのである。
潜在能力と思い込みの力、恐るべし、である。
自分の本来もつ能力を引き出すには、仲間。
これに尽きる。
さて教育にはもちろんだが、これは大人にも当てはまる。
自分は、どんな仲間、人に囲まれているか。
「人間」の言葉の指す通り、誰と過ごすかは、人生を規定する大切な要素である。
2020年4月14日火曜日
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