2020年4月19日日曜日

どちらが正解か、どちらも正解か

よく何かにつけて「どっちが正解ですか?」ときかれる。
これは、本質的には、大抵の場合、どちらも正解である。

例えば
「黙って話を聞く」と「周りと話をしつつ聞く」
は、どちらが正解か。

一般的には前者だと思われるかもしれない。
とても重要な話をする時などは、そうである。
しかし、例えば結婚式の宴の途中のお祝いスピーチの場面を想像する。
スピーチをお願いされた立場からすると、聞いている人も、知らない人だらけである。
あまり集中してしーんと聞かれてても、話しづらい。
そのまま飲食を続けつつ、わいわい反応してくれている方が圧倒的に話しやすい。

教育メルマガなので、学級で考えてみる。
これは「黙って聞く」に軍配が上がりそうである。
しかしながら、これもレベルがあって、どういう学級かによる。
普段からよく聞く力があって、話者がほどよい雰囲気の中で話せるのであれば、黙っていることが必ずしも正解ではない。
一方で、聞く力がついておらず、「バラバラ発言事件」頻発の学級であれば、黙って聞く指導がまずは第一である。

つまり、ほとんどの場合、あらゆることについて、万能の正解はないのである。
「叱ってはいけない」「褒めた方がいい」「怒ってはいけない」というが、これも場合によりけりである。

物事には、常に正反対の論理が存在する。
同じ人が真逆のことを言うこともある。
本来、それでいいのである。

古来から、賢人は、わざと前と逆のことを言う。
「ではどちらが正解なのですか」と弟子がきく。
その超越した解を聞いて、弟子は納得する。

哲学は常にそれである。
例えば「生きる」を考えるのには「死ぬ」を考える必要がある。
「死は忌まわしいもの」「目を背けるべきもの」という前提に立ってしまうと、生きるということの意味がわからなくなる。
どちらが正解とかではない。
両方必要なのである。
そのわからなさが嫌だという人もいるが、それが真実なのである。

中庸である。
どちらもある。
そのバランスをとる。
あるいは、極端をとって、もう片方の極端も認める。

何かと絶対解を見つけたくなるが、中庸こそが大切と考える昨今である。

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