新年度、新しい学年にあたっての心構え。
経験上、担任、あるいは学年主任といった立場の話で書く。
同学年は、チームである。
単なる群れや集団と、チームには、明確な違いがある。
群れや集団は、同じ場に集まっているだけである。
一方、チームというのは、同じ目的を共有している。
この「目的の共有」ができるかどうかが、一年間の明暗を分ける。
ここは学年主任の腕の見せ所である。
学年主任の仕事について書いた本は市場に少ないので、私の親友の書いた以下の本がとても参考になる。
『学年主任の仕事術 学級経営も学年運営も上手にこなすコツ 』飯村友和著 明治図書
https://www.amazon.co.jp/dp/4183312205
しかし、学年主任に頼ってばかりではいけない。
学年主任の出した方針に対し、意見を言う権利も義務もある。
というより、学年主任の立場からすると、何か意見を言ってくれないと不安になる。
遠慮なく言うべきである。
もし言うと嫌がる、怒る、あるいは威圧するというような学年主任(あるいは管理職)であれば、適当に距離をとって適当に対応するのが吉である。
(残念ながらこの手の人間の性質は、よほどのことがないと変わらない。こちらが対応を変えるしかない。)
チームとは、文字通り一丸となって目的に向かって突き進むものである。
2019流行語大賞は「ワンチーム」である。
目的がブレてる、あるいは共通理解されて共有されていないようでは、到底「ワンチーム」にはなれない。
学級経営も学年経営も、チームプレーなのである。
決して個人プレーではない。
個人でスターになろうとしても、なれない。
周りの支えがあってこそである。
私はサッカーをやっているので、サッカーで例える。
どんなに優秀なストライカーであっても、ディフェンダーとゴールキーパーが頑張ってくれないと、そもそもハーフラインから前にボールが来ない。
ハーフが頑張ってボールを配ってくれないと、スルーパスも来ない。
よって、シュート以前の問題である。
全く活躍の場は来ない。
仲間があってこそである。
自分一人で何とかなるものではない。
学年はもちろんだが、事務室や給食室、用務員の皆様など、全てがチームの一員である。
それらの人々がいないと、成立しない。
それらすべてを統括するのが、全チームの総監督である校長である。
校長の方針から降りてきて、学年というチームが成立し、学級というチームが成立していく。
学校経営方針を無視した学年経営や学級経営は、あり得ない。
チームを考える時、大方針は何なのか。
そこの確認からである。
チームリーダーの立場であれば、メンバーに方針を示すこと。
これが最優先の仕事である。
学年主任から各学級担任へ。学級担任から子どもたちへ。
どの規模のチームでも同じである。
方針はどちらなのか。
これがあるから、自由に動ける。
大体の方向性だけわかれば、自由に動ける。
それぞれが東西南北バラバラの方向に散って行ってしまったら、チームとして機能しなくなる。
船長は宝島という目的を共有し、海賊船の方向性を示すのである。
まずは、方針の確定。
リーダーが原案を示し、それをチームメンバー全員で話し合うこと。
この時間を確保することが、チームの今後にとって何よりも大切なことである。
2020年4月23日木曜日
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