「武士道から学ぶ子育て」の石川真理子先生からの学び。
武士道は、型にはめられる。
これだけきくと、今の世間的にはマイナスイメージである。
しかしである。
これは、物事の基本を学ぶという段階において、大変意義深いことである。
バレエでもピアノでも全て同じ。
型を身に付けることによって、個性が出てくる。
型を押し付けることによって、個性が際立ってくる。
実は、個性を伸ばすための武士道教育だという。
尖っている部分をより尖らせる教育藩校の武士教育では、才能のありそうなこと、得意なことを習う。
これは、裏を返せば「凹みも際立つ」ということである。
その集団の中での、自分の凹みもわかる。
すると、補い合うことがより必要になる。
凸の出番である。
凹があるからこそ、凸も生きるというものである。
ここで気付いた。
せっかく尖らせても、凹を埋めようとすると、尖りが弱くなる。
つまり、対比、ギャップである。
短所の凹みが大きいほど、長所の凸が生きるという面がある。
下手に凹を埋めないことである。
いわゆる短所と思われるものも、すべて特徴である。
与えられた才能を、生かし切ること。
頂いた魂をどう燃焼させるかというだけである。
個性伸長と型は、相反するものではないということ。
武芸における「守破離」の段階は、やはり大切と感じた次第である。
2020年4月11日土曜日
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