学級経営において、そして教育において大切なのは、見通しである。
「それをやっていると将来的にどうなるか」ということへの見通しである。
ごくわかりやすい例で言うと「100点だから褒める」を繰り返すと、100点以外に価値を置かないようになる。
短期的には100点を取ることが増えるが、間違いを恐れ、人間の価値を点数や偏差値ではかるような人間に育つ可能性が高まる。
(参考記事:『「100点答案」を褒めると勉強嫌いになる』プレジデントオンライン)
https://president.jp/articles/-/22234
短期的視点以上に、長期的視点が決定的に大切である。
今嬉しい、今楽しい、今結果が出るということをしがちだが、長期で見てマイナスということは非常に多い。
しかし、そうはわかっていても、目の前の短期的利益に飛びついてしまう。
心理学で「マシュマロテスト」という有名な実験があるが、まさにこれである。
大多数は、後でたくさん食べられるより、今一つ食べられる方を選んでしまうのである。
今の騒ぎにおいても、長期的視点が大切である。
今をしのげばいい、という考えをしてしまいがちだが、ウィルスが収束しても世界が終わる訳ではない。
今と地続きで世界は存在する。
この騒ぎの間に、どういう行動をとっていたかは、その後の世界に引き継がれる。
自分さえよければいい、という姿勢をとっていた後に、放っておいた苦しんでいた人と仲直りするのは、難しいと考えられる。
今最も苦しんでいる人のことを考えた対応が望まれる。
社会でいうと、今仕事ができずに困窮している人に、できることをする。
例えば消費の落ち込みによる廃棄食材などはインターネット上で出回っており、購入することで少しは助けることができる。
学校現場でいうと、虐待リスクが考えられる子どもへの対応は、急務である。
電話する、玄関口であっても家庭訪問するといったことは、行為は小さいが効果は大きい。
(学力への対応も大切なのだが、これは後述する。)
今はできないことに目を向けがちだが、今でもできること、今だからこそできることに目を向けることが大切である。
更に言うと、どういう未来を予測しているかでも、行動が変わってくる。
今のウィルス騒ぎが、いつ収束するかということと同時に、収束後の世界についての捉えも様々である。
1つ目の考え方は、以前の世界を取り戻すことから始める、という考え方。
傷を癒やしながらリハビリをしていくという、復興的な考え方である。
もう一方の考え方は、全く違う世界が始まるという考え方。
アオムシが蛹になった後に蝶になるように、全く別種の世界が始まるという、革新的な考え方である。
どちらを想像しているかで、今の対応が変わる。
学校でいうなら、再開後に今までの遅れを取り戻すと考えるか。
あるいは、再開後もオンラインを取り入れた全く新しい教育が始まると考えるか。
私は、後者の考え方の立場で動いている。
だから、今の状態で、再開後も生かせるオンライン教育の在り方を探るべきだと考えている。
オンラインで済むものはオンラインで行い、学校は対面による交流を中心とした学力をつける方向にシフトできるのではないか。
また、学習の個別化も進むのではないかと考える。
さらに、行事の在り方も精選されてくるだろう。
懇談会やPTA総会のような場の在り方も変えられる。
例えば、オンラインPTA総会は、あり得ないだろうか。
顔を突き合わせないと決まらないというものもあるので、全てをオンラインにはできないが、そうしてもいい会議はかなりある。
保護者との連絡帳でのやりとり、欠席連絡等も、オンラインであってはならない理由はない。
一方で、何でもかんでもオンラインで利便性を追求すればいいという訳でもない。
欠席の子どもが心配な場合、担任は電話あるいは家庭訪問すべきである。
つまり、オンラインとオフラインが対立するのではなく、共存する新しい学校教育が始まる可能性がある。
ところで、ここに関して、参考になりそうな資料がある。
本校が取り入れているMicrosoft社が出しているteamsというシステムの、導入の手引きである。
オンラインの導入を真剣に検討している学校も多いと思うので、参考までにそのPDFのURLを載せておく。
https://aka.ms/RemoteLearningK12
ちなみにこの手引書を作られた鈴木さんという方が、4/28 (火)11:30-12:30に、
『Microsoft Teamsを利用してこれから始めるオンライン授業のノウハウ』
というオンラインセミナーで講演をされる。
↓Empowered JAPAN 緊急ウェブセミナー特設サイト
https://www.empoweredjapan.com/
後に録画も配信されるそうである。
例えば校内研修などの一環でライブで視聴して、その場でチャットで講師へ質問を送るなどを行うのもありである。
(ちなみに、本校の情報担当教諭のおすすめ方法である。)
いつ収束するかが、全く見えない。
一方で、収束した後を想像することはできる。
そのために、ただやり過ごすのではなく、今できること、今後もできそうなことをやる。
今は変化への準備期間として、大切に過ごしたい。
2020年4月27日月曜日
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