昨年度末にメルマガで書いた記事。
今の困難な状況について、書いたものである。
全ての出来事には意味があるという。
いいことも嫌なことも全てである。
(そもそも、いい悪いという判断自体が、事実ではなく、主観によるものである。)
今年度の学級経営を振り返る。
自分自身は、どうだっただろうか。
私の経験則による話であるが、きつかったことのあった一年間ほど、成長が大きい。
正直、私にとって、今年度の学級、学年は、「ボーナス」的な一年であった。
恵まれすぎた環境である。
だから、その分、外に困難を求めることができた。
かつて、ものすごくきつかった年もある。
かつて、ものすごく苦労した子どももいた。
ただ、振り返れば、それは「神様」からのプレゼントだったのである。
今、かなりの幅を対応できる。
それは、紛れもなく、神様からのプレゼントのお陰である。
今年一年の「困難」を思い返してみて欲しい。
それは、克服できただろうか。
実は、毎年克服してきたことが、次の年度から基準(普通)になる。
学級担任を例に挙げる。
次の事項への対応に、自分はどれぐらい「大丈夫」と思えるか。
・授業中に席につけずに動き回る子ども
・全く勉強する気のない子ども
・平均的にみて、学力の低い子ども
・平均的にみて、学力の高すぎる子ども
・衝動的に暴れ出したり、暴言を吐く子ども
・やたらと反抗的な子ども
・無気力な子ども
・話しかけても全然反応しない子ども
・いつも一人ぼっちになってしまいがちな子ども
・いわゆる「空気を読めない」「浮いてしまう」子ども
全部「大丈夫」と言える人は、恐らく十年くらいの経験はあるのではないだろうか。
更に、苦労しながら克服してきたのではないだろうか。
もし克服できなかった事項があるとしても、大丈夫。
また次、確実に来るのである。
神様は、克服するまで何度でも同じ課題を与えて、再チャレンジさせてくれる。
(嬉しいような嬉しくないようなサービスである。)
保護者との関係にもこれは言える。
同僚や管理職との関係にもいえる。
正直、かなりきついこともある。
しかし、全ては、人生における克服課題である。
大事なことは、成長することである。
そして、やられずに生き抜くことである。
途中でリタイアしたり逃げたりしても、生きている以上は、決してゲームオーバーではない。
今年が何とか終わったなら、とりあえずこの章はクリア。
新たな課題に挑戦にせよ、同じ課題にリトライにせよ、とにかく次のゲームスタートである。
ともあれ、多くは今週が修了式である。
喜びも試練も与えてくれた「神様」たちに感謝して、今年度を終わりにしたい。
2020年4月20日月曜日
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