土曜日ということで、久々にゆるくエッセイ。
先日、衝撃の事実が判明した。
みなさんは、目覚まし時計を使っているだろうか。
私は、使っていない。
今回は、目覚まし時計に関わる話である。
事の発端は、携帯のアラーム。
私は普段、携帯アラームを目覚ましに使わない。
何なら、携帯の着信音も鳴らすことがない。
小動物系なので、音にびっくりするのが嫌なのである。
ところがその日の前夜は、珍しく夜更かしをしてしまい、朝起きられない可能性があった。
万が一に備えて「アラーム機能」というのをセットしておいた。
携帯電話ごときに驚いて目を覚ますのは癪だが、なに、アラームより先に起きればいい話である。
多分大丈夫であろうとその日は床に就いた。
翌朝。
すっきり目覚めた。
アラームをかけたことはもはや記憶の外。
安心して仲間の集う食堂に行った。(ちなみに、学習会の合宿中である。)
食堂の席につくと、近くで聞き覚えのない謎の着信音が鳴り響く。
誰のかと思ったら、自分のポケットからである。
例のアラーム。
こんな音がするとは知らなかった。
驚いていると周りから「普段はアラーム使ってないの?」との声。
「いや、使わないでしょ?」と答えると「いやいや。使う使う。」とのこと。
普段、目覚まし時計で起きているのか。
毎朝、さぞびっくりして目を覚ますことだろう。
早朝からご苦労なことである。
憐れみの目で「そうなんだ。」と優しく答えた。
「〇〇さんは使ってないでしょ?」と聞くと、「いや。使う。」とのこと。
ここにもいた、レアな方。
逆の席にも聞いた。「使ってないよね?」「いや、使う。」
変わった人の集まりのようである。
冷静に見ると、既に使う派と使わない派の数は3:1。
明らかに自分が劣勢である。
同じ早起き仲間の親友I氏に尋ねた。
「使わないよね?」「使うよ。」
かなり醒めた感じでバッサリ。
まさか、そんなはずはない。
ここにいるのが、全員が変な人という可能性がある。
或いは自分が変わり者なのか。
周りの人の「変わり者を見る目線」が刺さる。
その後、誰に聞いても「使う」の一点張り。
10人目にしてやっと「使わないでも起きられる」と答える仲間を発見。
「でも使いますけどね。」
常識は、突き詰めると個人の中にしかない。
そういえば、ずっと前に読んだ、リリーフランキーの『マムシのanan』という本にも同じようなことが書いてあった。
家の中では全裸が普通とか、
成人している妹の髪をブローする兄とか、
トイレのドアを全開にして用を足すとか、
そういうことである。
自分の世界の当たり前は、当たり前ではないと思い知った。
それにしても、毎朝目覚ましの爆音が鳴り響くのは、落ち着かないのではないのだろうか。
恐怖ではないのだろうか。
書けば書くほど、読者の皆様の心が離れていく気がするので、この辺りでやめておく。
自分の中の常識は、世間の常識ではないかもしれない。
目覚まし時計が教えてくれた真実である。
2017年1月21日土曜日
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