2019年3月31日日曜日

帰りの会での一考察

いつかの帰りの会の話。

「係からの連絡」などのコーナーを設ける。
そうすると、毎年どの学年でも、必ず起きる現象がある。

子どもから子どもへの注意である。
係や当番の子どもから「みんなきちんとしてください」という類のものである。

「自治」という面からすると、悪くはないように思える。
しかし、毎日帰り(あるいは朝)にこれを聞くのは、はっきり言って不快である。

先日、時間があったので、「たまにはあれば」ということで促すと、出る出る。
その日は、6人の子どもから「注意」が出た。

さて、その直後で尋ねてみた。
「今出たもの、全部言える人?」
全く手が手が挙がらない。
4つ、3つ、2つと下げても、まだだめである。

「1つは言える?」ときくと、やっと手が挙がった。
最後の一人が言った「使ったティッシュなどのごみを床に落とさないでください」というものである。

何と、他はほとんど覚えていなかった。
衝撃である。
しかも、注意した子ども自身も、自分の言ったもの以外は全く覚えていないという有様である。
(実は大人と同じで、よく周りに注意する人ほど、他人の意見は聞いていない。
普段掃除をさぼっている子どもほど、「○〇君がさぼってました~」の告げ口が多い現象と根本は同じである。)

よく考えれば、「音声」なのだから、当然である。
聞いた刹那に消える。

ただ、2つ目、3つ目と全体で聞いていく内に、だんだんと思いだしてきたようではある。

これは、特異な現象ではない。
おそらく、どこの教室も同じである。
一年生だからではない。
実は過去十数年、何度も実験しているが、学年が変わってもどこでも同じである。

ここから何がわかるか。

1 帰り間際の注意はほとんどきいていない
2 話を聞いているようで聞いていない、あるいはすぐ消える
3 人に求める割に、みんな自分が応じる気はない

結論。
多くの教室でなされているかもしれないが、この時間は無駄である。
もっと有意義な使い方ができる。

注意はいつすべきか。
その場が一番いい。
後になって言われても「後の祭り」である。
その場ですぐ直すのが一番いい。

「今日のきらきら」のようなものも同じかもしれない。
私は長らくやっていない。
いいところを見つけたら、その場で伝えるのが一番いい。
あるいは、紙に書いて個人的に伝える方が、残るし伝わる。
(逆に、注意はよほどしっかり伝えたい場合でない限り、紙に書かないのが原則。)

実は意外と聞いてない、伝わってない。
だから、忘れる前提で、短く、繰り返し伝える。
言おうとしている本人(教師)はできているか、自問する。
注意を伝える前に、原則として押さえておくことべきである。

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