次は、ソフトバンクの孫正義氏の言である。
「予測する能力」が名プレーヤーの所以
(出典 「みやざき中央新聞」2772号)
何度か紹介している「みやちゅう」の記事からである。
この言葉に、とても納得した。
孫氏は、スポーツの名プレーヤーを例に挙げている。
これは、学級担任の仕事にも当てはまる。
ベテラン先生の学級を見ると、特別なことをしてなさそうのに、子どもが育つ。
欠点や苦手な面もかなりあったりするのだが、何とかなってしまう。
なぜかというと、この「予測する能力」に一日の長があるからである。
例えば難しい質問への切り返しは、適当にはできない。
相手がどう来るか、予測しているからこそできる。
学級経営は「当たるも八卦当たらぬも八卦」では、うまくいかない。
特に小中学校の教師は、素晴らしい結果を一発出せるよりも、コンスタントに安定して学級運営ができる方が求められる。
学校全体を運営する管理職の立場で考えれば、当然である。
(一部の進学校や部活動中心の学校は、有名校への進学率や大会優勝のような方を求められるかもしれない。)
「想定外」は少ない方がいい。
ある人にとってはものすごい「想定外」な行動でも、知ってる人にとっては「想定内」である。
例を挙げる。
例えばだが、「いつも」悪さをして叱られる子どもがいる。
(「いつも」なんて有り得ないが。)
散々叱って、「もうやりません」と言わせる。
この時点で、対応がまずいことがわかる。
「もうやらない」訳がない。
「もうお腹が空かないようにします」という約束に近い。
「もう好きにならないようにします」という約束に近い。
そんなことは、無理である。
対応が間違っているのである。
こういう子どもに「もうやらない」なんてできそうもない約束をさせることのデメリットは、計り知れない。
子どもに自分を「悪い子」と認識させるための時限爆弾を仕込んでいるようなものである。
本来ならば「次は同じことになった時に、もう少し○○できるようにがんばってみる」程度の確認でよい。
「うまくいくかはわからないけど」ぐらいでいい。
ただ担任は「信じてるよ」と伝えればいい。
信じるのは「約束」ではなく、こちらの勝手かつ個人的な「信仰」なので、問題ない。
そしてここが予測力なのだが、きっと、多分、またやる。
9割9分、やる。
やらないだろうなんて期待する自分の滑稽さを、笑ってみる。
だけど、そんな中で、1分の可能性を信じている。
この塩梅がコツである。
宝くじを買って大当たりを期待するのとほぼ同じである。
(そうでないと、うまくいかないことに腹が立って、こちらがもたない。)
予測力。
それは即ち、とっさの対応力につながっている。
何事につけても必要な能力である。
2019年3月27日水曜日
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