あらゆる分野において、「強い」というものの共通点を見出だした。
まず、一般的な強いイメージをあげてみる。
サッカーやボクシングのようなスポーツでも、
将棋のようなものでも賭け事でも投資でも分野は何でもいい。
例えば、ものすごい攻撃力、爆発力がある。
あるいは、逆に一切の攻撃を受けない、損失を出さない。
違うのである。
確かにそれも強さの要素だが、結果を出し続けるのが難しい。
どこかでミスをした時、一発逆転でやられる怖さがある。
では、ミスをしたことがないというのはどうか。
文字通り「完璧」という状態。
「私、失敗しないんで」というやつである。
これが怖い。
失敗した時のダメージが計り知れない。
これも、一発逆転される怖さである。
本当に強いのは、打たれ強いということ。
もっと正確にいうと、ダメージを最小限に抑えられるものである。
(しつこいかもしれないが、特にプロレスでこの技術は最も顕著である。)
将棋の名人でも、ミスゼロは難しいという。
相手も考えており、ミスへ意図的に誘い込まれるからである。
本当に強い棋士は、ミスのダメージを最小限に抑え、次に備える。
ミスにくよくよせず、試合中は一旦忘れて引きずらないのだという。
ボクシングだと、「いなす」という技術である。
植物に例えると、柳である。
相手からすると、クリーンヒットしてるはずが、殴っている感触が軽いという。
投資なら「損切り」である。
ここの上手さがトレーダーとしての明暗を分けるという。
一発勝負が売りでは、安心して大事な資産を預けられない。
元手を減らされないという安心感が一番大切である。
どれも、ベテランが得意とするところである。
若手がパワーでやり込めることもあるが、二度は通じない。
いわゆる巧みさとは、そういうことである。
学級経営でも当てはまる。
安定感のあるベテラン先生の学級でも、小さな問題は起きる。
それを、解決できる力がある。
つまり、ミスを前提に、ミスのリカバリーができる力をつけるということである。
そして意外と、いわゆる必殺技的な実践はないことが多い。
その代わり、何を指導しても、きちんと成果を出す。
わからない場合には若手にも遠慮なく「教えて」と聞く。
何事においても、柔軟なのである。
私自身はベテランというほどではないが、ずっと尊敬するベテランの先生を意識をして実践している。
問題はちょこちょこ起きるし、厳しいご指摘をいただくこともある。
しかし、それでも何とかなっている。
敢えて言うなら大縄などの指導はまあ得意だが、必殺技というほどの実践でもない。
事実、なくてもやれる。
学級経営全体で小さい失敗を結構するが、大概リカバリーできる。
ダメージを最小限にして、更にその失敗を生かすことができる。
転んでもただでは起きないのである。
とっさの対応ができるとも言える。
それは、とっさに思い付くのではなく、予め似た体験で構えができているからである。
(そう、この二文は、宣伝である。
『お年頃の高学年に効く!こんな時とっさ!のうまい対応』
https://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-140623-3)
「受け」の対応技術は、強さの大きな要素の一つである。
2019年3月19日火曜日
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