3.11の震災から,ちょうど8年が経過した。
土曜日、また南相馬へボランティアに行ってきた。
今回はそのレポートと気付き。
南相馬のボランティアセンターには、3.11直前の土曜日ということで、たくさんの人が集まっていた。
中には、海外の若い人たちも参加していた。
海外からも「何かしよう」という人がいること。
国という単位は生活の上で必要だが、国境を越えて同じ仲間として活動しようとする人がいる。
希望のもてることである。
インターネットの国境がなくなったこれからの世界は、現実の面でもそうなっていくのかもしれない。
さて、例のごとく依頼内容は、お得意の「竹林伐採」である。
8年間以上手つかずの竹林というのは、密度が違う。
今回の任務は「完了」「ゴール」ではなく、長距離リレーの第一走者のような感じである。
そして「被災地に学ぶ会」と他団体との合同作業である。
とにかく角の一画をどうにかしようということで作業を開始した。
竹林伐採作業は、大きく6つの作業が入る。
0.下草刈りと作業場の確保
1.チェーンソーで竹を伐採
2.枝打ちと枝部分の処理(機械で粉砕)
3.50センチの長さに切り分ける
4.竹内部の節に穴を開ける(燃焼時の破裂事故を防ぐため)
5.処理場へ運搬
なかなかに、煩雑な作業である。
量が多く、とにかく進まない。
竹もまあすくすくとよく伸びていて、一本一本の作業量が多い。
しかし、やらねば進まない。
どんどんやる。
今回私は、初のチェーンソー使用担当である。
使い慣れた人の数が足りなかったからである。
エンジンのかけ方から分からず始めたが、慣れてきたら段々手際もよくなってきた。
竹は丸く空洞なので、丸の形に沿ってチェーンソーの根本部分を当てていくとうまく切れた。
大きな竹は切りきってしまうと、切れた瞬間にチェーンソー上に竹の全ての重さが載ってしまうので、注意が必要である。
やっている内に楽しくなるというのは、いつものことである。
そしてお昼の休憩時に気付いた時には、腰を中心に全身筋肉痛になっていた。
普段いかに使っていないかである。
肉体労働の後、青空の下で丸太に腰かけていただくお昼ご飯は格別である。
(昼食のお弁当も例の如く、鍵山秀三郎相談役からのご厚意の提供である。)
午後4時まで作業をし、終わった後、くたくたの身体を起こして、竹林を眺めてみた。
正直、見た目、あまり変わっていない。
全体の10%もいってない感じである。
時間と人数をかけた割に「まだまだ」という感じである。
帰りのバスの車窓から街の風景を眺めていて気付いた。
コンビニが増えた。
食事する店が開いている。
新しい家ができた。
駅では、電車から結構な数の人が乗り降りしていた。
工事車両がたくさん入っている。
街に、多いとはいえないけれど、以前よりもずっと車や人の往来が増えた。
8年も経ってまだこれぐらい、という思いはある。
住んでいる人たちにとっては、これは日常に感じていることなのかもしれない。
しかし、確実に、着実に、よくなっている。
ここの捉え方は、結構重要である。
決してよくはない状態なのだが、よくなってきている。
つまり、希望はあるけど支援は必要という状態である。
「復興したからもう大丈夫」では決してない。
一方で、「僅かずつながら、確実によくなってきている」というのも事実である。
集約すると
「決してあきらめないで、復興支援を続ける。」
ということが大切になる。
竹林への対処と同じで、一人が一回分でできる支援量は微量だが、これをリレーしていくことが大切である。
回数も人も、多ければ多いほどいい。
あきらめずに、みんなで長く続けることである。
必ず変化が起きる。
南相馬の地区では、仮設住宅の供与がこの3月で終了する。
(ただし特例で、もう1年延長の場合もある。)
この3月が、住民の人々にとって、またその支援をしようとする人たちにとっても、新たなスタートラインである。
絶対に、絶対に、あきらめない。
人間がこの思いをもっている限り、世界は確実によくなっていくという希望を学べた、今回の活動だった。
2019年3月13日水曜日
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