範囲を決めて選択を促すことの大切さについて。
主体性を育てるには、日常が全てである。
私は給食一つとっても、子どもに食べる量を事前に決めさせている。
今年度の1年生の自分の学級でとった給食システムについて紹介する。
(多分、ちょっと特殊である。
真似する際には色々と注意が必要である。)
最初に「少な目・早食べ」の子どもたちが配膳の場へ並ぶ。
これは、食が細い上に、ゆっくりしか食べられない子どもたちである。
かなり少ない量にも指定できる上に、この数人が配膳し終わった時点で食べ始められる。
食べる速度が他の子どもと比較して、圧倒的に遅いからである。(これは仕方ない。)
量を細かく指定できる。
他の人より早く食べ始められる。
時間が長い。
「少な目・早食べ」はメリットだらけである。
ただしこれら多くのメリットの代償として、おかわりが最後の最後までできない。
他の全員のお代わりの希望が完全に終わり、それでもなお余ったものに対し、完食できる場合のみにおかわりできる。
単に他より早く食べ始めたいだけの子どもが混ざるのを防ぐための、敢えてのデメリット設定である。
(元々があまり食べない子どもたちなので、通常おかわり自体をほぼ希望しない。
この仕組みが本当に必要な子どもたちにとっては、ノーデメリットである。)
その上で選んだ量を失敗することも多々あるが、その積み重ねが大切である。
そして、自分が選んだからには「次はがんばるか、量を考えようね」と、責任も持たせられる。
「今日は完食できたね。」と自分の選択を認める機会も増える。
一部の食の細い1年生にとって、給食は大きな壁なので、結構な配慮が必要である。
ちなみに、この方法は他の子どもにも喜ばれる。
おかわりがたくさんできるからである。
「捨てる神あれば拾う神あり」で、減らしたことで余ったものが、ある子どもにとっては大好物だったりする。
例えば昭和から現在まで定番人気メニューの「揚げパン」は、通常一人一個なので余らない。
しかし「半分」「半分の半分」「3分の1」などと指定すると、確実に余ることになる。
(ついでに1年生にして分数の学習もできる。)
長々子ども自身が選択できる大切さについて書いたが、逆の大切さもある。
大人の決めたことに従う、という場面もあって然るべきである。
一方で、範囲を決めた上で、子どもに選択させる機会も大いにあっていい。
つまり、バランスである。
周りの大人がそれぞれ異なる考えを持っていることが、子どもにとっては良い教育になる。
世の中には様々な考え方があるということも学べる。
給食一つでも、主体的に選択するための教育ができるという一例である。
2019年3月23日土曜日
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