今回は人間ではなく、犬の話題。
教育とも深く関わる部分があるので、書かせていただきたい。
犬のしつけの大切さと社会の相互影響について。
犬を飼っている。
そうすると、他の犬も見るようになる。
散歩をしていると、よくしつけられている大人しくて従順な犬がいる。
うるさく吠えかかってしまう犬もいる。
やはりここは、しつけらていて大人しい犬の方が、より幸せなのだと思う。
なぜか。
多くの人から可愛がられやすいからである。
安心して撫でてもらえるからである。
また、犬同士でも、無駄に吠えなければ仲良くなりやすいからである。
やたらと吠える犬は、噛まれそうだし怖くて手が出せない。
特に犬が苦手な人にとっては、尚更である。
(そして、単純にうるさい。)
なぜ無駄に吠えるかというと、要は不安感が強いからである。
実は、可哀そうなのである。
人間と同じく、強がりは怖がりの証である。
自身の困り感から生じているといえる。
我が家の犬は、千葉県柏市にある、下記URLのアニマルシェルターから仔犬の時に譲り受けた。
(よければ一度サイトを訪れていただきたい。)
参考:外部サイト「ライフボート」
http://www.lifeboat.or.jp/
我が家の犬は、保護犬故なのか、トラックが大の苦手である。
最初に保護・回収された時が、トラックだったのかもしれない。
普段は大人しいのだが、散歩中にトラックを見ると異常に怯えてパニックになり、ダッシュで逃げようとする。
(特にネット通販で最もよくお世話になっている某運輸業者のトラックが「超」がつくほど苦手である。)
また縄張り意識が強く、家の中に入ると気が強くなって、客人に吠えることがある。
これが大変困る。
(他の場だと誰に対しても一切吠えず、とても穏やかなのである。)
可愛がってもらおうにも、家で会うと、とにかく最初がうるさいのである。
しつけは普段からしているのだが、ここばかりはなかなかうまくいかず、残念無念である。
ちなみに、子どもよりも大人、女性よりも男性の方が慣れるまで時間がかかるらしい。
犬なりに「安心・安全」上の問題のようである。
庭に入ったものに向かっても吠えるので、家を守りたい意識もあるらしい。
繰り返すが、犬はしつけがしっかりしている方が、その犬自身にとって幸せである。
あらゆる人に可愛がってもらえる可能性が高まるからである。
最悪、飼い主に不幸があった場合も、次に引き継いでもらえる可能性がぐっと高まる。
残念なことに、「飼いにくい」と判断された犬や猫は、捨てられることもしばしばある。
ペットショップで、愛くるしくおもちゃのような子犬・子猫状態で買う際は、ここを十二分に承知しないといけない。
大きくなるにつれて大変になるのは当たり前だし、そこまでをしつけたのは飼い主自身である。
犬や猫は「飽きたから」「いうことをきかないから」「壊れたから」「汚い、古くなったから」
等の理由で捨てられるおもちゃと同じではない。
世話の覚悟もないような子どもがねだった、孫が可愛いぐらいのノリで簡単に買うのは迷惑千万である。
死ぬまで一切のすべてを背負う覚悟がないのなら、何百万円支払おうが買う権利はあっても飼う資格はない。
捨て犬猫一匹を保護して死ぬまで世話する団体や人の社会的なコストは、金額的にも精神的にも計り知れない。
これは、供給側のモラルの大きな問題でもある。
一方で需要があるから供給が成り立つという経済の関係性もよくよく考慮すべきである。
ネットで調べればすぐわかるが、ショーウィンドウ内で犬猫を展示販売できる日本は、世界的に見てもかなり奇異である。
それでも日本のペットショップが成り立つということの背景には、経済的に見ても大きな需要があるからである。
そして多くのペットショップは、買い手も売り手も本当にペットが好きな人たちで成り立っている。
ペットショップ自体が悪いのでは決してなく、法と社会構造自体に根深い問題がある。
参考:外部サイト「わんこライフ」
http://wankolife.net/pettogyoukainouragawa/pettosyoppumondai/
熱く語ってきたが、要は犬も猫も好きなのである。
好きなものを大切にしたいというのが当たり前の感情である。
そして単に好きだということと、大切にできることは別物なのである。
子どもに対してもそこは同様。
本当に好きならば大切にしたいと思うが、どうすることが本質的に大切にするということなのか考える必要がある。
ここで適切な躾がなされていることが、人間の子どもが育つ場合にも大きな意味をもつ。
次号で、犬の「しつけ」ではなく、人間の場合の「躾」の適切な在り方について考えていく。
2019年3月5日火曜日
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