2019年3月25日月曜日

通知表って何なんだ

3月には数日間「短縮日課」になっている学校も多いと思われる。
通知表の成績をつけるためである。
子どもにとっては早く下校できるから、たくさん遊べるいい機会である。

ところで、通知表とは、法的にどのような位置づけのものなのか。
メルマガの方のタイトルに「二十代」を冠していることもあり、老婆心ながら記す。
以下、文科省のH.P.より引用である。
(元々が表になっているので、表記の都合上、一部改変して記す。)

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通知表(通信簿)
【法的な性格と内容】
・保護者に対して子どもの学習指導の状況を連絡し、家庭の理解や協力を求める目的で作成。
法的な根拠はなし。

【作成主体】 
・作成、様式、内容等はすべて校長の裁量。
・自治体によっては校長会等で様式の参考例を作成している場合も。

【文部科学省の関与】
・なし。
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文部科学省のH.P.に記されていながら、「関与なし」なのである。
つまり、法的には、なくても問題ない。
「慣例」である。
(ただし、指導要録の方は、教育委員会の定めた様式で作成する必要がある。)

要は、法的根拠がないとはいえ、家庭の理解や協力を求めるのが存在理由である。
「子どもを励ます」というのは、正当な気がするので誰も反論しないだけで、実は時代の流れにおける後付けの理由である。
あくまで、保護者向けである。

通知表には、課題が結構ある。
所見作成に時間を割きすぎるというのは、拙著『「捨てる」仕事術』でも詳しく書いた。
道徳科の記述評価が本当に必要かというのは、現場の恐らく9割以上の人が感じている疑問である。

「正しい評価」の弊害の面も考える必要がある。
例えば私は、当時相対評価だから仕方ないが「C」をくらった教科がいくつかある。
一生懸命やっての「C」である。
もちろん、嫌いになったし、今でもそれらの教科は不得意だと思い込んでいる面がある。
(比較して並べられて×をつけられたのだから当然である。順位付けの弊害である。)
つまり、その評価が正しくとも、教育的にマイナスの効果をもたらすことがある。

一方で、以前紹介したが、5段階で「音楽1」を付けられた子どもが、世界的な音楽家になることもある。
別に1をつけられたから発奮した訳ではない。
評価のミスをしただけである。
評価者の「見る目」の問題である。
音楽や図工などの芸術系教科は、特に評価が難しい。
例えば誰があの名作とよばれる抽象画を「良い」「悪い」と評価できるのか、という問題と同じである。

つまり、その評価が本当に適切かどうかなんて、誰にもわからない。
だから、一番わかりやすい「テスト」での〇×の数を問うのである。
合否と同じで、文句のつけようがない。
一般的に学校のテストは「成績をつけるために存在している」といっても過言ではない。
手段の目的化である。

通知表は、何のためにあるのか。
学校の「当たり前」として見直すべきものの中の一つである。

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